ネアポリスのスタンド使い

 毎朝、目が覚める度に、そっと自分の手のひらを見つめる。
 その度には安堵する。ああ、無事に今日も生きている。
 そこまで確認した後に着替えるために身体を起こす。カーテンを開けて日差しを目一杯浴びて「ああ、生きている」と再び感じる。第三者から見ればオーバーな事この上ないが、彼女にとってはその始まりこそがすべての生きている、という証につながっている気がした。着替えて階段を降り、いつも通り料理をして出かける。することはいつも通りだ。

 職人になると飛び出していったカタツムリ通りのミランダは通学路で偶に出会う。おはよう、と挨拶をすればチャオと返ってくる。そのまま彼女は工房へ、は学校へ行く。
 特別何かになりたいのかと聞かれるとは少し言葉に詰まる。勉強が特別好きなわけではない。かといって、ミランダのように毎日が充実した職人になりたいかと言われると答えは否だ。あいにくとはそういう「何かを作る」「何かを残す」といったことへの関心はない。せいぜい得意分野と言ったら他の女子たちと同じく刺繍だとか、サッカーだとか、男の子たちの話題に適当に乗っかれることだとか、曖昧なことばかりだ。

 ランチの前に授業が終わったので広間によればサッカーチームのことを話している四十近くの男たちが目に入る。その中央に背の高くて細身の男がいた。一際目立つ真っ白なスーツ。ここ最近忙しかったのだろう、彼のことを見かけたのは数日前の学校の寮の近くで数日前から休んでいると噂を聞いたジョルノ・ジョバァーナと一緒だった時だ。珍しい組み合わせに首を傾げたもので、声をかけれなかった。
 少しの談笑の後、男はすっとを向いた。視線があう。は逃げるわけにもいかず、吸い込まれるように男の元へと歩いて行く。

「……ブチャラティ、こんにちは」
。珍しいな」

 彼の名前は「ブローノ・ブチャラティ」という。の稀有な運命を大きく左右することとなった男だ。彼は至って穏やかな顔をしている。というか、いつも基本的に涼しい顔をしている。スパニッシュ系の髪の色。ケルトのものとはまた違った黒曜石みたいな色だ、と密かに評価している。
 どこの出身なのかよくわからないが、細身で長い足はモデルのようだ。行き交う人間が誰もが彼のことをちらりと見ては去っていくのをは知っている。ナランチャという彼の仲間もまた、漆黒の綺麗な髪をしているが……彼もまた、どこの出身なのか、は知らない。
 挨拶に応じてブチャラティはゆったりとした足取りでへと少し歩みを進める。気遣うような顔をしているのは気のせいではない。

「身体はいいのか?」
「誰かさんのお陰で」
「一命を取り留められてよかったな」

 おおよそ半年ほど前、ネアポリスで大きな事件があった。麻薬に絡んだ男たちの抗争。普段水面下で行われているというその抗争に、1人の女性が巻き込まれた。
 彼女は二の腕、足、手首、腹を切られた。……その女の名前を、という。しかし、彼女は何か「ふしぎな」力を得て、死の淵から蘇った。その時に一枚噛んでいたのが、今目の前にいるブローノ・ブチャラティと彼のチームだ。だが、そのことを知っている人間はごく少数だし、何よりは静かに暮らしている。今のところは。
 それからというもの、彼女はブローノ・ブチャラティに会う度に同じ事を聞かれるのである。「身体はいいのか」と。

「それで、そういえば、この前、私あなたを見たよ」
「俺を?」
「ジョルノと一緒だった。知ってるでしょ?ジョルノ・ジョバァーナ」

 学校ではちょっとした有名人だから見たことあってね、とが言うと彼は「そうか」とだけ返した。彼には彼の事情があるのだろう。のことをひた隠しにしてくれているブローノ・ブチャラティならではの優しさなのかもしれない。彼は「いいひと」だから、にそういった危ないことは教えてくれないのだ。

「ネアポリスはまた負けたね」
「この前の八百長事件が関わってるからな」
「なかなか勝てないからやきもきしちゃう。あんなクソ監督さっさと解任しちゃえばいいのに。セリエBに落ちたらどうしてくれんのよ」

 悪態をつくのことを先程からサッカー談義をしていた男たちが視線を送る。同意権なのかSi,Si!と頷いているのだが、は見えないふりだ。ひとしきり文句を言った後に、はぁ、と溜息を付くとブチャラティは苦笑いをしてみせた。どうやら彼にとってカルチョはあまり重要な位置ではないらしい。

「ところで、今日は学校はいいのか?」
「今日は昼前に終わる授業だけだから」
「そうか。なら、に食事を誘える俺はラッキーだったということか」

 イタリアーノらしい軽口に、は薄く嗤った。そんな気なんて微塵もないくせに。誘われたら断る理由もないことをブローノ・ブチャラティは理解しているのだろうか。

「それはとてもラッキーな話ね、私も丁度空腹だと思ってたから」
「それじゃあ、俺がエスコートする権利をもらえるかな?お姫様」
「うん、特別に許可しましょう、王子様」

 芝居がかる言い方の二人にどちらでもなく吹き出した。こんなやり取りなど全く普段しないくせに、どうでもいいことに乗っかる性格からか、誰も止めないせいで楽しくなってきた。ブチャラティはの手を取って見せる。はそんな彼に少しばかり歩調を合わせてもらい、ゆっくりと歩き出した。

「次の試合勝ってもらわないとトトカルチョ全敗なんだけど?」
「…………そいつは大変だな」

 まったくよ!ふくれっ面をして文句を言うに、今日も彼女が生きているのだということを再認識出来て――ひっそりと、ブチャラティは悟られないように笑顔を作った。


2013.08.03

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