故郷ヲ思フ


02.秘密

薬草だとか、そういったことに関して残念ながらは詳しくない。
彼女がやっていたことといえば簡単な料理と裁縫、家事は分かれど専門知識はない。
だがここではそんな甘えは通用しなかった。平助は薬草と山菜を取りに行くかあ、と実に呑気にいうので一度に覚えようと彼の後ろをついて行く。
そういった日々が続いている。最初は微塵も分からなかった山菜も、少しずつ認識するようになった。
ここから村まではやはり距離があるらしい。殆ど自分たちから会いに行かなければ、人とは合うことも早々なかった。

は籠の中に山菜を取りながら平助と他愛ない会話を広げる。

「この前食べた狸は美味かったなあ」
「平助君、これは大丈夫?」
「んー?あ、それアクが強いからお浸しにしようぜ」

が驚いたことは先ず、平助のその食べ物に対する欲求だ。
彼は庵に住んで長いのか野草への知識もあるらしい。が料理にと出した握り飯と味噌汁を食べながらしみじみとあったけえ、と言っていたことが印象に残っている。そして狸や狐、といった生き物も食べる。

「肉を食べるのは外の国では普通なんだって昔言ってたんだよ」

そう言って押し付けられた狸汁は、確かに驚くべきこくがあり、まろやかだった。

また、彼はとても朝が弱い。
なので、日頃は明け方が目を覚まし仕事を行い、近くの祠の手入れをして家事を行う。
だがこの段階で彼は起きだそうとはしない。
夕暮れ前、彼はゆっくりと目を覚まし、そしてと食事を取る。彼は其の後夕闇の中でどこかに行き、そして食べ物を渡してくるのだ。

「平助君、今日のこの葱は……」
「それなあ、山の近くで迷ってた奴がいたから案内したら礼にって」

彼は山に芝刈りに行っている、というわけでもないらしい。
と平助による生活は実に質素なもので一日における朝と夜の食事も山菜が主だ。村にが時折降りて平助から渡された金で米を買う。近くに畑があるためか、人との関わりが薄いもののどうにかこうにか生活できている。


そんなある日のことだ。

、今日は祠の掃除俺がやるから。夕飯作ったらのんびりしててくれよ」

祠、というのは彼等の庵から少し歩いた山の中にある小さな祠を指す。
聞けば源平の合戦の頃だとか、室町時代だとか色々な諸説があるらしいが、家から近いこともあり、大体最近はが朝方に掃除をしている。

「何かあるの?」

が聞くと彼はにこやかな笑顔を向ける。聞くな、ということなのだろう。
は平助が言葉にしない以上は深入りをしまいと頷いた。
そうして、一日二食のうちお互いが揃って食べる夕餉を食べる。いつもより多めに豆を入れた雑煮は彼らの胃袋にあっさりと収まった。


平助の言いつけ通り、夕餉を片付けるとは洗い物を済ませ、横になっていた。
どのくらい経っただろうか。宵闇の中で、平助が出かける音がする。
ゆっくりと扉が閉まる音を確認しは身体を起こし、残り少ないろうそくに火をつけた。
星が明るく照らしているとはいえ、人があまり住んでいない庵の近辺はほぼ何もない。まるで視界がなくなるような状況だ。

平助には何かがある。それはにもわかっていることだ。

だが、それと同じようににも事情がある。お互いの過干渉を避けながらうまいこと付き合っている。
そろそろ、彼女が転がりこんでひと月がたとうとしていた。

「……とはいったものの、寝付けないし」


困ったなあ。彼女は繕い物でもしようと裁縫箱をいそいそととりだした。……が、どこかで音がした。銃声のそれとよく似た音。ついで煙の匂いがする。誰かが野営でもしているのだろうか。
反射的に身体を起こし、身構えた上ではぐるりと見渡した。
戦は終息しているはずで、銃声なんてものを聞くはめになることももうないと思っていたがそうでもないらしい。

火をもち、ゆっくりと外を歩き出す。
――それが何か、なんてことはすぐに分かった。

人だ。銀色の髪をした、獣のような人間だ。
男は火縄銃に似た何かを持っている。むせ返る硝煙の匂いには己の身体をよりこわばらせた。嗅ぎたくもない、ひたすらに嗅いだ匂いだ。


その佇まいに見覚えなんてものはなく、異形な姿に彼女は身構えた。
だが、男の身体は砂のように崩れ落ちかけている。彼はを見ると、一歩、二歩と近づき、そうして、彼女を襲おうとした。
首に手をかけた瞬間、何かが思い切り音を立ててその男の身体に当たる。石だ。
男の体、左二の腕から下の腕部分はさらさらと砂塵になり崩れ落ちる。
男の目は狂気に満ち溢れ、そちらを見やる。

そこには、ギラギラと光る赤い目があった。

だが、それが何かは分からない。には一瞬の出来事ですぐに見送ってしまい、男がそちらへかけ出した時点で、彼女には関心をなくしていたのだろう。呆然とそちらを見送ることしか出来なかった。
置かれていた銃。
男はその銃を捨てていったがはそれを拾い上げる。

現実に返ったのは、己の身体が予想以上に震えていることに気づいたからだ。
寒さのせいではない。恐怖心だ。
―――これは、同じだ。あれも、自分も。



「……業の深さは抜けないってことかな」

人を殺した罪。その罪に後悔はない。会津の人間ではなかったにしても、彼女の決断に後悔はない。
だが、それでも彼女の周りにつく罪という意識は薄れかけていた想い出を「忘れるな」とばかりに押し付けてきている。
はゆっくりと息をつき、立ち上がった。
こんな恐怖で怯えている姿を誰かに―――平助に見られることは、したくなかった。

それは確かに彼女が「知られたくない罪」を抱いているからなのかもしれない。
は元きた道を戻りながら懇懇と考える。
今の男の存在、赤い目の何か。獣、といえばいいのだろうか。何者かは分からない。何故、恐怖したのかも分からない。


「変な話」

人を殺している自分のほうが、よほど獣より畜生だというのに。そうは己を自己嫌悪するように溜息をつく。後悔はない。だが、懺悔は終わらない。罪の意識は消えることはなかった。





「―――ぐ、くそ、うえ、不味い」

真っ赤な目をした男は祠の前で膝をつき何度かそれを啜る。それは“食事”だ。よくもまぁここまで持ったものだと男は思う。目の前に人間がいたというのに、いるというのに、その衝動を堪えている。殆ど衝動は収まったと言っても、それはあくまで可能性の話であり彼が血を啜ることはどうやら「食欲」と同様な以上どうしようもないらしい。
横たわる獣の血。それは決して美味いものとは思えなかった。

(ああ、ダメだ、これじゃあ、ダメだ)

飲むということへの衝動は、時に彼へ自己嫌悪を増幅させる。己が人ではなくなったことを何度も何度も再確認させられる程に。
祠はが手入れをしているためか、とても綺麗になっていた。その血がべっとりとより形を残すほどに。

「ぐ、ぁ、あ」

苦しい。飲みたい。飲みたい。飲みたい。
何度も重なる誰かの声。それと同時に「それは出来ない」と拒む自分の声。
彼―――平助は、を引き止めた理由を時々考える。彼女を引き留めたのは誰かと過ごすことで自身がまだ人として保てているからではないか、という錯覚をしたかったからだ。



血を貰えば、飲めば、楽になる。彼女も人から羅刹にしてしまえばいい。そう考えがよぎる。
だが、それを真っ向から否定する自分がまだ残っている。
あの女は何も知らない。そしてあの女も何かがある。だから引き留めた。平助は何度も何度も繰り返し、その度にもうすでに血という血を抜き取られた狸の血を、飲み干す。
横たわる羅刹はすでに自我は持っていなかったが―――どうやら、羅刹の香りのようなものを嗅ぎつけてきたのだろう。

何故、自分が自我を保てているのか。
それは平助にも分からなかった。人の血を飲まなくなってもうすぐ1年ほど。同じように羅刹になった仲間はすでに砂塵に化した。
いつ自分が消えるのかもわからない。
それでも―――それでも、彼は、最後まで「まだ」人でありたかった。


新選組として動いていた自分が見たら何というのか。新月となって隠れた月を見上げながら彼は思う。
今となっては新選組すら形もないということを風のうわさで聞いている。世の中は明治になり、月日は代わり、それでも平助は変わらずにとどまっている。


「―――あー……クソ、もう、なんなんだよ」

うんざりしたように、吐き捨てる。……こんな姿を、には見られたくはなかった。
新月の夜は特に血を飲みたくなる。それはここ最近の……数ヶ月の自分の中での仮説だったがどうやらその通りらしい。


「……はっ」

どこか、乾いた笑いがこみ上げてきた。まるで畜生のようだ。飢えた獣、壬生狼とはよくいったものだ。
ゆらゆらと揺れ動く瞳をこらえるように、平助は目を閉じる。
乾きは、少しずつ潤い―――1つ、深呼吸をする。
水越しに見える己の目、髪は普段と何一つとして変わっていない。もとに戻ったことを悟った。



「―――悪いな、


俺は多分、お前にすごくこれからひどいことをするだろう。
平助は先程立ち尽くしていたを思い出して苦笑した。彼女は身体を強ばらせていたし、同時にやられると感じたのだろう、殺意のようなものをむき出しにしていた。その空気はぴんと張り詰めていたが―――同時に恐怖していることも分かった。
きっと、あの女なら。大丈夫。

そんなことを感じて、平助は口端についた黒く濁り始めた血を親指でぺろりと舐めとった。



「……おかえり、平助くん」
「なんだ、起きてたのかよ」

驚いたことといえば、平助が戻った朝焼けよりもまだ暗い時間帯に、が目を覚ましていたということだ。
彼女は裁縫箱を前に端切れで寒い時用にと張々湖を作っているのだという。平助の肩に合わせ「もう少しで出来そう」と小さく笑っている。
……少しだけ、平助の胸がちくりと傷んだ。彼女は何も知らない。そして知らないままで終わっていくのだろう。

「――何かあったか?」
「何も?」

そうして、それを享受している。知りたいと思わないのだろうか。視線だけを送れば、は穏やかに「続きは明日、やるね」と笑っている。
血がついた服の裾に何も思わないのか―――否、気づかないのか。
そんなことを考えながら、平助はに小さく頷き返す。

血の匂いは、まだどこかで消えることはない。

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2013/10/01