故郷ヲ思フ
01.邂逅
それから、数カ月ほど経過して、「会津戦争」が終わり、彼女は会津を追われた。
あの女傑も、あの侍も今はどうしているのか分からない。
ただ戦火の動乱の中で、は友を失い、親兄弟を失い、故郷をも失った中で自分の命だけは落とさなかった。
は考える。あの戦いに意味はあったのか、と。
1つの夢ではなかったのだろうかとも考える。
だが、彼女の手は確かに人を殺めており、銃で、刀で、首を、目を、額を斬り捨てた。撃ち殺した。それは拭えない現実であり、彼女が背負うべき業である。
時代は明治に変わり、戦いがあった傷跡を残したまま流れていく。
にこの行く先を押し付けた男が今どうしているのかは――矢張り、分からない。
「この場所に往け」
そう思い出の中で男が言った。
彼女は懐紙を抑えながら、周囲をぐるりと見渡す。
涼しい風が吹く。川のせせらぎと、木漏れ日。
木々のそよ風に吹かれてこすれる音。
喧騒から離れた山の中は随分と静かだ。
失敗したのは場所を教えてくれた道行く農民に礼として持っていた干菓子を渡してしまったことだ。彼女の空腹感はすでに峠を越えており、空腹からため息が続く。
「―――そもそも、こんなところに人、いるのかな」
河原風は彼女の髪を撫で、獣道を通りながらは己を元気づけるために小さな詩を歌い始めた。だが、次第に飽きてその歌を止めた。すでに先程から独りで歩き続けて数刻ほど経過している。ぐうぐうと鳴る腹と乾ききった喉に竹筒で水を飲もうとするが、流石にもう空っぽで、川で汲んでくればよかったと改めては後悔した。
男はもしかしたら狐だったのかもしれない。つままれたか。
ふっと意識が飛ぶ経験を何度か積み重ねる。しばらくしては小さな庵のようなものを見つけた。生憎と人のいる気配はない。
だが、生活は恐らくしているのであろう、割られた薪は最近作られたものであることは明確だ。
切り株に突き刺さった斧を見て何となしに持ち上げてみる。ずしり、と手に吸い付いて、そして重たい。薪を割るよりも先に、彼女はぐにゃりと視界が歪み胃酸が逆流する感覚に陥り、そのまま崩れ落ちた。
次に彼女が目覚めた時、そこは見慣れぬ天井だった。
囲炉裏を使っているのだろう、火のパチパチとした音が妙に耳に入ってくる。身体を起こせば布団がかけられていることに気づく。次いで、額には手ぬぐいが置かれていて―――これも冷たい。
「おう、起きたんだな。大丈夫か?」
声をかけてきたのは、庵には全く似合わないほどの、そうと年の変わらなさそうな少年……否、青年だった。深緑色の羽織を着ている青年には身体を起こして襟を正す。
「なにやら助けていただいたようで、すみません」
「帰ってきたら家の前で倒れられたからなあ、心配したよ、あんまりここ人来ねえからさ」
熱とか計ったけど、俺そういう医学とかあんまわからないからさ、とりあえず寝かせちゃったんだけど。
からりと笑った青年に自分の倒れてた原因がこんな山奥の、林の中で人の住む庵があったことへの安堵感からだなんて言えやしないままはああ、ええと、と煮え切らぬ声をあげていた。
だが、その彼女の考えをあっさりと無視して青年は囲炉裏で煮ていた鍋をこん、と叩いた。
「それよりお前、腹減ってねえ?雑炊作ったけど食うか?」
「え」
「あ、粗餐なのは目をつむってくれな」
芋、葱、ごぼう、豆、きのこ、山菜。雑炊、というよりも菜根鍋だ。
なるほど先程からの匂いはこれだったのかとは感心すると同時に彼女の返事より先に腹が返事を返した。
男は人懐っこく笑ってみせて、お椀に彼女の分の野菜を合わせたものをわたしてやる。
「ほら、食べて元気だせ!」
「……見ず知らずの方なのに、すみません」
「いいよ、別に」
いつもなら台所で作るんだけど、めんどくさくてさ。
彼は座布団に腰を落としてが食べ始めるよりも先に手を合わせ、いただきます、と声を上げた。その勢いに押され、も手を合わせ、「いただきます」と呟き、箸を持つ。いちょう切り……のような、ぶつ切りになった人参を口に放り込む。野菜の味がよく染み込んだ、温まる料理だ。
彼の性格をよく表しており、細やかなものではなかったが――、煮干しだろうか。だしの味が染み込んでいる。
「……おいしい」
「そっか、そりゃ良かったよ」
うん、やっぱり人間食ってこそだよな。青年は笑う。身のしみる温かみに泣きそうになるのを堪えながら、は口に野菜を再び放り込む。
決して裕福な暮らしとしは言えない、質素な暮らしだ。それなのにに食事を振る舞ってくれる彼の優しさが伝わってくる。
そうして、青年に話をかけてみる。
「あの」
「うん」
「ここには、お一人で?」
「ああ、うん、そう。俺一人」
彼女は小さく頷き、考えてみる。
この場所に往けといった男のことを。名は斎藤一。身なりは男にしては小柄ではあったが、その刀を持たせた姿は夜叉のようであった。だが、彼のことをどこまで話題にしていいのかは考え倦ねる。
現状、会津の立場は非常に弱い。そして会津で闘ったことを口に出してどうなるか想像出来ないほどは莫迦でもなかった。幸いは会津の出身ではないし、鶴ヶ城での籠城戦の話はあれど彼女がスペンサー銃を持って駆けずり回ったことを覚えている敵側もそういないだろう。主体となったのは別の女だ。
昏々と彼女が考えていると、少年は思い出したように顔を上げた。
「ああ、そういえば、お前の名前は?」
「あー……と申します…。あなたは?」
平助。彼は苗字を名乗らなかったが、は小さく頷き返して「平助さん」と彼のことを呼んでみる。すると彼は随分照れくさそうに笑って、周りはみんな敬称なんてつけない、だからお前もつけなくていいと言った。
だが、からすれば命の恩人なので、折衷案として「平助君」と呼ぶということを提案してみると……少し、懐かしいものを見るように平助はを見、そして分かった、と小さく笑う。
「は、どっか行こうとしてたのか?」
「…………ええ、でも、その後のことは何も」
「ふうん?」
ここに来て、何になるのか。
答えは出ていないし、ここの家主がこの青年だからといってはどうしようもない。あの青年―――斎藤一は、この人にあって何をしようとしたのか、何故ここに自分が来たほうがいいと彼は言ったのか。
答えは矢張り見えなかった。
「じゃあさ、少し家に居れば?」
「…………それは、どういう意味で」
「んー?行くとこがないなら、ここに居れば?って」
「いや、だから」
彼は何故、初対面の人間にそんなことを言うのか。には首を傾げることしか出来ない。どうして、と聞くとなんかほっとけないと実に曖昧な答えを返す。
彼女は暫く、いいんですか、と何度も繰り返したが、ついには三つ指を立てて深々と頭を下げたのである。
「んじゃあ、これからはもっと砕けるようにな」
「善処はするということで」
「いいんだよ、そう変わらないだろ、年」
平助は言う。彼女の考えていることをまるで見抜いているように。
……は平助の言うとおり、まずは彼のことを友人のように、兄のような心持ちで関わって見るように始めた。
彼女は知らない。何故彼が、を迎え入れたかを。
彼は知らない。が抱えてきたものを。
こうして不可思議な同居生活が始まった。
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2013/10/01