アマオト

 付き合っているのかと尋ねられれば多分、と付け加えて是と答えることが出来るだろう。だがあいにくと確証を持って付き合っているかと聞かれると微妙なところだ。そのくらい、自分たちの関係は「曖昧」である。


 自分の教室に来たとき、ぼんやりと窓際に座って外を見つめている少年に彼女は溜息を零した。
 そもそも彼はと同じクラスではないし、我が物顔で教室に入っているのはどうかと思うのだが……そこは放課後だから、ということでどうせ片付けられるのだろう。
 はゆったりとした足取りで、彼に近づいた。

「……何一人でたそがれてるの?」

「部活、雨だから中止だって。体育館もバスケ部が今日は練習日だから駄目。雨の中での練習は流石に許可できないってさ」

 今から連絡網回すところだったから丁度いい。
 にこやかに笑うと鬼道の座っていた席の向かい側に腰掛、おもむろに携帯を取り出しカチカチと器用にボタンを押していく。
 ボタンを押す音と雨の音が妙なリズムを作り出した。部屋の中が雨音と携帯を押す音のみが響く。トン、トン、トンと指で机を叩きリズムに乗ればの携帯を叩く音が少しだけ早まった。再び一定のリズムを刻む雨の音、彼女の指からはじき出される音、鬼道の机を叩く音。小さな楽団がそこに出来上がった。

「よし、送信完了」
「……ああ、来た」

 携帯を確認すると新着メール一件、とディスプレイに表示されたのを確認して携帯を閉じて机の上におく。雨は一層激しさを増すばかりでとても部活という話ですらないようにも見える。窓へ視線を向ければ反射して鏡のような形で鬼道の表情が見えた。
 彼もまた、ぼんやりと窓に視線を向けていた。降り続ける雨は、二人の耳にただ静かに音を届ける。
 呼吸音と重なり、どこか気を落ち着かせてくれた。

「――
「……うん?」
「……俺たちの関係って何だ?」

 唐突に聞かれた言葉に思わず持っていた携帯を落としかけた。エスパーのような彼の言葉に思わずは仰け反り、慌てて身を固まらせるが、彼は視線を窓に向けたままだ。
 動揺を抑えきれず、かといって視線をワザとらしく逸らすことも出来ない。
 見たことのない表情だった。シリアスな、アンニュイな、言葉にするのが難しい表情だった。……それは、男の子の目だ。もよく知っている、フィールドに立ったときのもの。
 どう返せばいいのか分からず、視線も逸らせずまるで睨まれた蛙のようには硬直した。

「…………」
「…………」
「……何って、そもそも付き合う前にキスしてきたくせに」
「まだ根に持ってるのか……」

 漸く出てきた言葉は随分とひねくれたものだったが、鬼道の反応を見る限り悪くはなかっただろう。その分言っては後悔したが、その顔を盛大に背けて「当たり前でしょ」と言い返した。彼女の気持ちを表すかのように風が窓に叩きつけられてガタガタと窓が揺れる。
 窓に手を触れると、風が入り込みたいと体当たりを何度も繰り返して掌をガラス越しに叩いてくる。

「……なんか、私ばっかり鬼道君に振り回されてるみたい」
「どういう意味だ?」
「そのまんま」

 肩を落として首だけ鬼道に向けると、彼は不可解そうに眉間に皺を寄せていた。それが少し優越感だったが、同時に少し寂しくもある。こんなに近いのに、中々伝わらない。
 は身体をぐるりと反転させて、窓に身体を寄りかからせる形で手すりに手をかけ、「私ばっかり結局好きみたい」と苦笑いを浮かべた。前々から思っていたことでもあったし、それも間違いない本心だ。
 だが、そもそも思いの丈なんて人それぞれだし、が百パーセント送ったところで百パーセント帰ってくるとは限らない。人の気持ちはそう簡単に出来ては居ない。何を言っているんだかと自嘲しながらは顔を上げた。
 鬼道は益々眉間に皺を寄せていて、また不機嫌にさせてしまったのだということに気付き「ごめん」と小さく謝罪し顔を背けた。困らせるつもりも、そんな顔をさせるつもりもなかったのに。どうして好きだというだけでは駄目なんだろうか。どうして、こんなに近いのに届かないんだろうか。


「……なんか、だめだねぇ、私たち」
「……」
「……ごめん、私先に帰る」


 恐らくこれ以上話せばまた何か余計なことを言ってしまうだろう。荷物を手にとって彼女は教室を出ようとした――が、それは実現されることなく、荷物が落ちる形で止まる。
 目を見張ったのはのほうだ。あれほど微動だにしなかった鬼道が眉間に皺を寄せて、の手首を痛いくらいに掴んでいる。力の限りに握り締めているのだ、あの鬼道が。


「……鬼道君?」
「お前、本当に自分だけが振り回されてるって思ってるのか?」
「……だ、だって」

 呆れたような溜息が、耳にかかった。妙にくすぐったい上に何やらバカにされている気がしたので反論しようとするが、手首が捕まれているのと同時に彼のゴーグルが肩に当たって妙に痛くて声をあげてしまう。
 不意に、彼女の手が鬼道の手に絡め取られる。ぎょっとしながらひっこめようと手を引っ張ってみるが、無論男女の力の差なんてものは歴然で敵うことなく、彼女の手は彼の左胸あたりに押し付けられた。
 どくん、どくん、どくん。
 心臓の鼓動を肌で感じ取り、そしてそれがいつもの練習後の脈と同じようにとても早いことに気付く。鼓動が早くなるのは運動をしたり、もしくは不整脈だったりと様々だが鬼道は不整脈を持っていないし、運動後ということでもない。手首を包み込む手は微かにカタカタと震えている。
 は、とは顔を上げれば小難しげな顔をしている鬼道が居て、目が合った瞬間、何だか可笑しくて噴出して笑ってしまった。
 慌てて口元を押さえるが既に後の祭り。

「……笑うな」
「ご、ごめん、ついっ……なんか意外すぎて。……鬼道君でも緊張すること、あるんだね」
「当たり前だ、……俺だって所詮人間だぞ」

 手首が離されるが、その手をが今度は追う。手を掴めばびくりと僅かに肩が跳ねたが、それを完璧に無視して己の手に重ねさせる。中学生にもなると手の大きさも差が出てきていて、彼の手はとても節々がごつくなっている。比べての手はマネージャー業でカサカサではあるが、女子の手。差は大きくなるばかり。


「……鬼道君は、どうありたいの?」
「……どうって」
「だから、好きって言うだけで、私から言われるだけでそれで終わりでいいってこと?」
「普通そこまで言ったら付き合うという流れに行き着くと思うんだが?」
「うーるさいなー、どうせ私は理解力乏しいよ」

 不貞腐れるように文句を言うに握られた手を、彼はしっかりと握り返した。その手は確かに洗い物だとか書類整理だとかボールの手入れだとかしているせいで切り傷や擦り傷だらけでカサカサではあったけれど「この手に自分たちは支えられている」ということに気付かされる。
 マネージャーなんて、居て当たり前。支えるのが彼女たちの役目。裏の仕事に取り組むのが仕事。そう切り捨てることは簡単だが、鬼道は秋や春奈や夏未やの努力を知っているし、それが故に切り捨てることはしない。自分たちが救われていること、自分たちが気持ちよくプレーするために彼女たちが走り回っていることを知っているし、彼らはフィールドには立たないが「仲間」という存在だと思っている。
 空いた右手を、彼女の肩に置く。それからの動きは実に自然に、本能のままだった。触れたものは柔らかく、無味無臭。レモンの味と言い出したのは誰なのかは彼は知らないがまるでレモンの味も匂いもしない。
 ゆっくりと離れれば目がチカチカしているのか困惑気味にが鬼道を見据える。何で、とその目が訴えているのは明白だ。

「……俺はお前とこういうことをしたいと思ってる」
「……さ、先に本人の許可とってよこういうのは!」

 あー信じられない、と頭を再び抱えたの手を再び両手ではがす。怯えた目はしていなかった。寧ろ動揺と呆れとその他もろもろの感情が彼女の目に凝縮されており、うっすらと涙すら浮かんでいる状況だ。

「……嫌か?」
「……卑怯だ、鬼道君」

 答えなんてものは最初から決まっている。合意であると言わんばかりに彼女は目を伏せた。ゆっくりと、再び同じ行為をすべく彼は近づいていく。
 しとしとと、雨はまだ当分止みそうになかった。


2009.11.22