寺の庭で子供たちが鬼ごっこをしている中、縁側の縁に寄りかかりながら階段に腰掛けては彼らを見守っていた。随分と穏やかな日差しではあるが、些か眩しいので丁度日陰になるという意味合いも込めて、寺子屋に通う子供たちを見ていることにしたのである。川が近くにあるせいか、夏はこの場所は盆地である京都の中では比較的涼しくもある。
石の階段を、誰かが登ってくる気配がした。ふとした気配に子供たちの足が止まり、自然とそちらに目を配る。鬼も、逃げる子供たちも一人、二人、気づけば全員がその足を止めていた。その気配に自然との腰も上がる。
蝉の声と木々の葉が風で小すり合う音だけが耳に届く。静かに、確かにその気配はゆっくりとこちらに近づいてくる。
ゆらり。陽炎が少しだけ揺れた。彼女の瞳がその正体を捉えた時、鋭い眼光がきらりと光ったようにも見えて身体が竦む。くるりと巻かれた真っ白の首巻きと右脇に差された刀に相手が武士であることを確認した。……と、同時に、彼の顔を知っていたためか思わず気の抜けたため息を零す。子供たちは相手に少しばかり驚いていたが直ぐに興味を失ったのか再び鬼ごっこに興じている。彼女は中途半端に浮かせていた腰をしっかりと上げて姿勢をしゃんと整えると、階段を登ってきた相手もまた、へとゆっくり近づいていく。
「斎藤様、今日和」
「殿」
浅葱色にだんだら模様の羽織は今日は着ていらっしゃらないんですね。は静かにそう言うと、彼は淡々とあれは隊服であるが故に執務中以外は着ない規定になっていると述べた。壬生狼と揶揄される新選組を恐れる人間も京の町には多いが、寺子屋で子供たちに塾として算術から文字等を教えるや寺の人間には余り、かかわり合いのないことで人斬り集団と言われても仏の前には何一つとして変わらない……というのが仏門の教えだ。何より斎藤一という人間においては、少なからずは信頼を寄せている。
何かを喋るべきかと彼は些か視線を漂わせ、の視線の方角へぐるりと身体を反転させた上で、彼女の横に佇んだ。その余りにも不器用な態度に、思わずは薄く笑ってしまう。
視線の先には相変わらずの日照りと、子供たちが駆けずり回る姿。よくもまあ、子供は風の子と言ったもので元気なものである。斎藤は静かに彼らを見ていたが、やがて静かに口を開いてに何故ここにいるのかと尋ねた。
……何故此処に。
その質問はおそらくが尋ねた方が正しかっただろう。
「算術を教えておりました」
「……そうか、あんたは算学が出来るんだったな。すまん、失念していた」
「いえ、お気に為さらないでください」
子供たちが遊びたいというので、その目付けとしていることを伝えると、斎藤は静かにため息をついた。難儀なものだ。そう彼のため息は語っているようにも見える。
子供の面倒を見るとなると、新選組隊内には妻子を江戸に残し京へ馳せ参じた人間も何人か居る。彼らや、後は組長格で言うところの最年少である藤堂、もしくは何故か子供に好かれることが多い沖田が打倒なところであり、口下手で無骨な斎藤からすればがいる寺子屋の子供たちとはどう接するべきなのか全くと言っていいほど分からない。
は斎藤に首を振り、子供たちをまぶしそうに見つめる。釣られて、斎藤もまた、彼らを見つめた。
「……斎藤様は、何故こちらに?」
「ああ……絵馬を書きに来た」
「絵馬、ですか?」
からみて、数歩先には絵馬掛けがある。時折風が吹くとからんからんと絵馬同士がぶつかり合う。
しかし、どうにもからすれば斎藤が神仏にすがるほどの願いがあるというのは不思議で仕方がなかった。彼女の印象では新選組に属している人間は皆、己を律し目的を持ち、そのために生きている……というようなもので、彼女の識る最たる例として斎藤一が上げられるものだからこそまた、不思議でならない。彼は絵馬掛けにゆっくりと近づき、ひとつひとつの絵馬を静かに見つめていく。
……なんとなしに、も彼の後ろへよっていく。からん、と絵馬がぶつかる音がした。
「……これは算額か?」
「あら、本当。和算家の方が解いた問を書き記していったものですね」
「ふむ……では、俺も書くとするか」
何も書かれていない絵馬を取り、金を賽銭箱に入れると彼はさらさらと筆で何やら文字を書いていく。の角度からは何を書いているのかは見えなかったが、特別見ていいものなのかは分からなかったので書いている後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
子供たちの高い声が、不思議と耳に届く。振り返ろうとしたのと、斎藤が書き終えたのはほぼ同時であり、振り返った斎藤と目があってあまりの恥ずかしさに思わず俯いてしまったのは仕方がないことだろう。
彼は真っ赤な紐を指にとり、絵馬掛けの二段目の左端に引っ掛ける。
「斎藤様がお願いをするのは、何やら不思議な気分です」
「……そうか?」
「はい」
何度か斎藤は瞬きすると、に見てみれば良い、と呟いた。人の願い事を見てもいいものなのだろうか。彼女は少し困惑しでも、と口ごもったが斎藤はいつもより少しだけその切れ長の目を細めて「俺も、人の子ということだ」と言う物だから、ついついその絵馬を手にとってしまう。
表には馬の絵が大きく描かれており、その後ろをくるりと片手で向けると少しのズレもなく真っ直ぐの文字で文章が書かれている。まだ墨が乾いたばかりで、ほんの少し、香りがするような気がした。
……彼女は文字を目で追いかけ、途中で「え」と吃驚した声をあげた。思わず顔を上げると、矢張り其処には目を細めた斎藤の顔がある。何度か見比べた後、斎藤様、とは思わず呟いてみる。……彼は、矢張りというべきか、何も言わなかった。
「応えを急くつもりはない」
「斎藤様、あの、ええと」
「……俺が此処に来たのを、あんたはもう少し疑問に持つべきだな」
あんたに会いに来たんだ。話をしたかった。
淡々と、けれどもどこか柔らかい言葉尻で言う斎藤に、は思わず口ごもる。単刀直入の言葉の数々は彼の性格を表しているようで、どうしたらいいのか分からない。
絵馬を持つ手が少しだけ、震えているような気がした。
「斎藤様は、好き者ですね」
「何故だ?」
「私、変わり者であるとよく言われておりますので……」
「……だが、あんたのそういうところが俺は好ましく思ってる」
余りの真っ直ぐな言葉に、彼女は言葉を失い、頭を小さく振った。今日は予想外のことばかり起こる。口の中は既に乾ききっていて、自分がいかに緊張をしているかを教えてくれた。
……しばらくの沈黙が続いたが、では失礼すると言い残し斎藤はくるりとから背を向けるものだから、彼女は慌てて斎藤の名を呼んだ。
「……あの、私は、算術しか出来ませんが」
「子供の面倒が見れるだろう。それに、算術など、俺は出来ん」
「……不束者ではありますが、その、斎藤様」
私も斎藤様といろいろなお話を、してみたいです。
掻き消えそうな言葉に、斎藤はが今まで一度足りとも見たこともないような柔らかい表情で、確かに、間違いなく――笑った。
静かに、風が吹き絵馬がお互いを小さく鳴らす。季節は皐月の頃を知らせていた。子供たちの騒がしい声が妙に心をくすぐって、どんな顔をしたらいいのか分からずは唯頬を秋の紅葉のように赤らめていた。
静かに、だがゆっくりと、何かが始まる音がしたような気がした。
*ちよ様リク「薄桜鬼:斎藤か沖田 落ち着いたヒロイン」