Allegro Cantabile!

五線譜の上で踊ろう

 五線譜が無造作に部屋に散乱している。楽譜、というには走り書きだらけだ。司はそれを踏まないようにし、とん、とん、とリズミカルに突き進む。散乱していた楽譜はシューベルトにモーツァルトにベートーベンにパガニーニ、ヴィヴァルディにサラサーテ。時折ヴァイオリン楽譜の中にピアノ楽譜や、武満徹、「弦楽のためのレクイエム」等といった現代の作曲家たちによるヴァイオリン曲が入り交じっている。
 何をどうしてここまで散乱させるに至ったのか分からないが、ステップを踏みながらひょい、ひょいと動き、最後に扉の前に司は立った。

 ノックを一度してみるが返事はない。もう一度ノックすると言葉なのかうめき声か分からぬ声が聞こえてきたので、そのまま彼は扉を押し開けた。
 そこで見たのは、が楽譜との格闘をしている真っ最中の姿で、「は」と間の抜けた声を思わず上げてしまう。

「司くん、どうかした?」
「や、なんかシャベーくらい楽譜いっぱい落ちてたからさ、なんかあったのかなーって思って」
「あー、ごめんごめん、それ私のだ……」

 の部屋というものは、ここにはない。が、実質倉庫半分、書斎半分になっている山盛りの楽譜置き場があり、彼女はそこによく行き来していることはW6も勿論、西野やL6も周知の事実だ。

「何してんだ?」
「昨日の地震で楽譜落ちてきちゃったみたいで、全部が交じり合っちゃったみたいなんだよね」

 の楽譜どころの騒ぎではない、書斎にあった楽譜の幾つかがカーペットに落ちている。一枚を拾い上げてみると、おそらくはこれはベートーベンだ。の走り書きがあるのでのもので間違いはないだろう。

「……全部か?」
「私がここに持ってきたのは、全部。それとあちこちにこの部屋で突っ込まれてたやつ5割り程度」
「それをまとめてるのか?」
「うん、まぁ」

途方も無い作業だ。うわあ、と声を漏らすとは小さく笑って「まぁ、今日はマルコせんせコンクール行ってて居ないし」と受け流し、再び作業にとりかかっている。
で作曲のコンクールやヴァイオリンコンクールを控えているというのに、こんなことをしている場合でもない。司はそれを把握した上で楽譜を何枚か手にとって見る。これはブラームスで、もう片方はリストだ。フルオーケストラの楽譜まであるのはジャンの持ち物だろうか。

「なぁ、おいら手伝ってもいいか?」
「え、いいの?」
「おう、勿論。任務はしっかり成功させるぞ!」

ジャンの護衛という任務もある中だが、司は基本的にに対して友好的だ。多分、彼らが同じ人間を師事しているからというのもあるだろうが、波長があうのだろう。
は彼の好意に素直に甘えることにして、お願いします、と笑うと己の持っていたモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」の最後の1ページをクリアファイルにしまった。




「うわー、これシャベーなぁ、よくこの楽譜持ってんなー」

だが、作業というものは中々に終わりにくいもので、司はの弾いたことのあるパート譜を拾いながら感嘆の声を上げている。新精鋭のまだ20にも満たない青年のスコアだ。吹奏楽の楽譜だというのによく持っていたものだと司はしみじみとしつつそこに書かれている音を想像して小さく口ずさむ。は苦笑しながらクラシック音楽を年代別に仕分けながら今は目下パガニーニを片付けている。
二人の作業に変わってからテンポは向上したが、中々に数がある以上終らない。

「なあ、なあ、これはCDとかないのか?」
「どうだろう、多分あったと思うけどなあ」
「こいつら、アヴニールじゃあないんだよなあ」

おいら会ったこと無いんだよーと笑いながら言う司に、はファイルをまた1つ積み上げるとああ、と思い出しながら話をする。
司とそう年が変わらない、ということはとはほぼ同年代だ。からすればライバルに部類されるわけだが、彼らは実に個性あふれる人間であったことを思い出し、司のキラキラとした表情に思いがけず顔をほころばせた。

ってジャズアレンジ得意だよなあ」
「え、そうかなあ」
「おう、ソロだと多いと思うけど」
「うーん気付かなかったなぁ」

ジャズアレンジ強いのに個性が弱いというのはどういうことか。思わずは頭のなかで少し考えたが、苦く笑い、多分好きなんだろうね、と曖昧に返す。司との作業はいくつか脱線をしたものの、何だかんだで他のW6が戻ってくるよりも早く片付いた。
いくつか司が気になった楽譜は談話室のテーブルに置かれ、司はそれを音を取りながら考えているらしく真顔だ。
は厨房に引込み、真っ白なティーポットにアッサムティーの用意を始める。昨日買ってきたタルトタタンはまだ残っていたはずだから、それをお礼にしよう。そう用意を進めていると「ー」と司の声が聞こえ、彼女は顔を上げた。

「おいらさあ、が弾いてるの聞きたいんだけど後で時間ねぇかな」
「ソロで?」
「おう、だってこれソロ曲だろ」

おいらは、の音で聞きたいんだ。
ソファにあったクッションで遊びながら司は言う。
……は胸がぐ、と高なったのを感じたが、あえて素知らぬふりをした上で「ありがとう」とどうにかこうにか言葉に出す。人に音を褒められるにしても、ソロで褒められるなんて中々ない経験だ。だが、司はそんなの音が好きだという。褒められなれていないせいか、少し気恥ずかしかった。

「あのね、司くん」
「おう」
「……ありがとう」

「おう!」

なにせおいらは忍者だから。
そういつもと変わらぬ口ぶりで言う司に、は知らずとして笑顔になり、ぎゅっと握りしめていた手をますます強めた。彼は知らない。知らないでいい。彼女にその言葉がどんなに救いになるかなんて。

「うん、今日は美味しいものを食べよう!」
「おお?おー!やったー!」

知らないでいい。知らないままで、彼は五線譜の上で動き回る音符のように、踊っていて欲しい。
そうただ静かに願いながら、は小さく笑った。


2013.10.30

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