「おい、起きろ。」
身体を揺さぶられて、重たい身体をどうにかこうにか起こす。
私、の体調はすこぶる悪かった。偏頭痛が止まないし、視界は悪い。吐きそうなほどの逆流してくる胃酸。これの原因は何かと考えれば簡単なことで、要するに風邪気味だったということである。
顔を上げれば見覚えのある顔が此方を覗きこんでいる。
珍しいことに彼はゴーグルをしていなかった。
「どうしたの、鬼道君」
そして、いつもと同じように実に不機嫌極まりないことを表す眉間の皺。
絵の具のように赤い瞳は私を見たまま不安そうな、どこか困った目をしていて「珍しい」と思わずには居られない。
彼は言う。ここはどこだ、と。
「…………どこって」
周囲を同じように見渡してみる。身体を立ち上がらせることも出来ない、箱。狭い箱だ。
突然のことに目を白黒させる。頭痛はやまないから、視界もぐらついている。
立ちくらみすら起こしそうなほどに。
鬼道君は言う。
起きたらここにいて、お前が倒れていたと。
…………倒れていた、といわれても、全くを思い出せない。
例えば後頭部を思い切り誰かに殴られたのかと聞かれれば全くをもってそんなことはない。首を傾げていると「お前に聞いても仕方ないか」と呆れたような、そんな口調で彼は言う。失礼な話だけれども、実際私は全く覚えていないからどうしようもない。
「、お前は寝てろ」
「え、いや、でもどこかわからないのに」
「足手まといになりたくなければ寝てろ」
ぐうの音も出ない。
彼は多分、私を気遣ってくれているのだ。体調が悪いのがそんなに顔に出ているのかと顔をうつむかせるとそれすらも体の調子を訴えるように吐き気を増させる。うえ、という声が小さく漏れる。
「」
「うん、大丈夫、大丈夫だから。分かった、座ってる」
「そうしろ」
体温がどうとか、顔色がどうとか、私がいうのも変な話だが、そういうところに対して結構鬼道君は敏感な気がする。
多感な時期……というのは中学生を差すのかもしれないけど、そういうのを鬼道君はもっと早く経験したのだとも察する。
彼はだって、私とは全く違う人生を歩んでいるだけでいわゆる別次元の人みたいなものなのだから。
金持ちで、サッカーというものの才があって。
平々凡々で、たまたま学校が近いから受験した雷門でたまたま人数合わせでマネージャーでいいからと頭を下げられたから頭数合わせで入ったに等しいサッカー部。
うん、自分で言うのも何だが、ひたすらに地味だ。
「」
「んー……?」
「……それでも羽織ってろ」
投げられたものをそのまま手にとる。肌触りのいい布だ。
これは彼がサッカーをする時だけ羽織るものだ。試合中は邪魔じゃないのか、危なくないのかという問いに対しては「言われたら外せばいい」とあっさりと彼のアイデンティティであるそれは不必要なものとしても扱われている。
だが、彼はそれを大切にしているということぐらい、私にだって分かるのだ。試合中に引っ張られる可能性だってあるのに、踏まれる可能性だってあるのにそれでも彼はつけている。
「いいの、これ」
「病人は黙ってろ、阿呆」
私の反論なんてものは無視される。
鬼道君はけっこう、否、とても厳しい人だ。でも、優しい人である。
そう私は勝手に判断することにした。
あまり考えても仕方ないことなのかもしれないし、それを言葉にしたら「馬鹿じゃないのか」と一言で切り捨てられる気がしたからだ。うつらうつらと揺れる頭を抑えて、目を閉ざす。少し残像でチカチカとした気がしたけれど、次第に光は消えてゆるゆると眠りに誘われていくような感覚に陥る。
眠る前に、彼の声を聞いた気がした。
「さっさと出るぞ、こんなところ。こんなところで倒れる馬鹿お前くらいだ」
好きでこんなところで倒れたわけじゃない。というか倒れてない。
反論を言うつもりだったのに、彼は優しく私に言うのだ。
お前はおとなしくここで寝て、助けを待ってればいい。俺が出してやる。
―――彼はとても、優しい人だ。
私がサッカーに関して微塵も知識がないといえば自分の時間を惜しまずに提供してくれるし、そのプレースタイルの違いだとかも教えてくれる。オフサイドが分からないというときは具体的にどんなことを差すのかを表現してくれた。
彼は厳しい。とても厳しい人だ。だから嫌なやつにも見える、というか彼も実際嫌なやつだ。
少なからず帝国の時の印象は嫌なやつだった。
……でも、彼は優しい人だ。
それは、春奈ちゃんが生き証人で、私だって諸手を上げてそうだそうだと主張してもいい。だって優しいのだから。
朦朧とする意識の中で、私は最後に大きくため息をつく。
「」
どうした、と彼は問いかけてくる。わざわざ身体を近づけて。けれど私は答えることが出来ない。何故なら少し泣きそうだからだ。寝息を立てるふりをすれば、すごく彼は安堵して「人騒がせな」と苦笑する声が聞こえてくる。
吊り橋効果、ってあるじゃない。
多分私と鬼道くんの関係を表すなら「吊り橋効果」が一番あってるのかもしれない。彼は帝国のキャプテンで、私は平凡なマネージャーなりかけみたいなもので。それが何やかんやで今こうしてチームの選手とスタッフになったわけで、信頼関係が生まれて。
「心配かけるな、阿呆」
こういうやりとりも、ある意味で友情と信頼だからできるんじゃないかな、とも思う。
……なので、もうちょっとだけ、この気持の行方はわからないけど自分の中でとどめておこうと決めた。鬼道くんが私を好きかどうか?そんなものは関係ない。興味ないといえば嘘になるし報われたらいいな、なんてもちょっと思うんだけれど、それ以上に、私は彼と話をするのが好きだ。厳しいことを言うのも「阿呆」と言ったりするときもあるけれども。この信頼関係は私達だから出来たものだとも思ってる。
だから、気遣ってくれた鬼道くんには感謝している。
だから、さっさとこんな箱から出るために、私は眠ることにした。事実私が動きまわって最終的に鬼道くんが風邪でも引いたらと考えたらそれこそ「マネージャー失格」というやつだ。
ぼうっと考えながら、まどろむ中、静かに私は眠りについた。
「、おい」
二度目に起こされたとき、彼はとてもやさしかった。
というか、引きずる勢いで私の身体を肩で支えて歩き出している。何度も瞬いて、え、と問いかければまっすぐと彼は視線をある一定の方角に向ける。そこにはボールが転がっていて、どうやら誰かがこの状況に気づいて助けてくれたのだろう。炎の跡があるということは豪炎寺君あたりだろうか。
大丈夫か、というチームメイトたちの声。
「歩けるか」
「……うん、大丈夫」
「嘘つけ、そのまま膝からくずれ落ちるぞ」
この病人が。
呆れた笑いが聞こえて、彼は手を離してはくれず歩き出していく。手が熱い。首が熱い。熱があるのが分かる。だが、それ以上に多分私は動揺しているのだ。箱から飛び出せば、そのままチームの皆は私と鬼道くんを迎え入れてくれる。
……私がヘラヘラと笑っていたら、そのまま試合中に負傷した人間を運ぶ担架を宍戸くんたちが持ってきた。
「鬼道が運べって最初に出てきていうから何かと思ったらよぉ、も一緒だっつーからさ」
「…………染岡くん」
「大丈夫か、」
「――…………鬼道くんが、出してくれたからね」
流石鬼道くんだ。
素直に言葉にしたら、そのまま気が抜けて、私は立つことも歩くことも出来ず前のめりに倒れた。遠くで鬼道くんの声が聞こえた気がしたけれど、本当にそうだったのかは分からない。そうして私はそのまま3日もの間病院で世話になってしまったのである。
「鬼道があんなに顔色悪くするのは音無のことぐらいだと思ったんだが」
「まぁ、それだけチームメイトが心配だったんだろ?一緒に居たんだし」
「……………………それもそうか」
そんな彼らの会話を知る由もなく。
私は後日、見舞いにきた鬼道くんにひたすら怒られ、心配され、ついでに見舞いとして持ってきたリンゴをすりおろして食べた。
鬼道君は心配症だなあと笑えば、大まじめに「お前がそうやって阿呆みたいに突っ走ってるからな!!」と少しキレ気味に言われた。
けれどそれを真面目に受け取って「鬼道君は優しいからフォローしてくれるからつい」と答えれば、優しいと言われたことに彼は困惑してみせたのである。……照れくさそうに視線を逸らしてすりおろしリンゴをさっさと食べろと押し付けてきたのは、どこにでもいる他のクラスメイトたちと変わらない。
(こういうとこ、すごい好きなんだけど)
言ったら多分、馬鹿じゃないのかと呆れられそうだからリンゴと一緒に飲み込んだ。
後日談になるけれど、この段階で私は鬼道くんのことがとても気になっていたわけだけど。それは向こうも同じだっただとか、だから倒れられて卒倒するかと思っただの、後になって昏々と同じことをまた怒られるはめになる。
鬼道くんはやっぱり厳しくて、優しい人だという私の結論は、やっぱり間違ってはいなかったようだ。
それが少し嬉しくて、誇らしくて笑っていれば「馬鹿か」と照れくさそうに彼はいつもと同じように視線を少しそらして、呆れたように言うのだ。
……ということで、私と彼の話はまだ、続いてくれるらしい。
こんな私では有りますが、どうか鬼道君。これからも、よろしくね。なんてね。
2013.09.16