はらはら、桜が散る。
見上げながらは溜息を付いた。
今頃どうしているだろうかという疑問は抱かないようにしているものの、気がかりといえば気がかりだ。
此方の世界は西暦で計算していけばそろそろ大きな戦争が起こる前兆がある。けれど中岡や高杉が生き残っている以上、自分の知る歴史とは異なっていくのだろう。
坂本龍馬という存在がいない、その共通項だけ残して。
「ねえ、龍馬さん?」
笑いますかね、あなた。ぺしん、と木を彼女ははたいた。
ざらりとした桜の幹の肌触りはどこか痛かったが、ざわめく心が沈むには丁度いい。
はあ、とため息をつくとさらさらと風が髪をなびかせる。
涙は妙なことに流れることはない。
ただ、じんわりと彼女の中で灯火を揺らめかせるだけで、さっそうとした風であろうとも、大きな迅雷であろうとも、彼女のなかの煌きを消せはしない。
「」
桜の木越しで、誰かの声が彼女を呼ぶ。
彼女は振り返らなかった。
もう一度、、と呼ばれて分かっているとばかりに少し笑う。何故彼がこうして声で聞こえるのは不思議であったが……千年桜の前ではこういう不可思議なことが起きても仕方が無いのかもしれない。
「どうしたの、瞬君」
「……矢張り、か」
ようやくが振り返ると、黒色のジャケットにハイネックという江戸時代とは全く似合わない服装をしている瞬の姿が目に飛び込んできた。
はゆったりと口元をゆるめ、ため息をつく。
相変わらずのようで、何よりだ。
「何度か手紙を書いたよ」
「……そうか」
「そちらは、元気?」
相変わらずだ。彼は何も変わらない喋り方で繰り返す。
彼が消えるといっていた世界は、神の慈悲か、神子の慈愛か、よくわからないが助かったらしい。
そのことを良かったねとが言えば静かに彼は口元を緩めた。
……其の笑い方は、どこか寂しそうでもある。どこかで彼は察しているのだろう。
神子とはもう共に在れないことの寂しさか、はたまた妹のような守護すべき存在が、己の対と共にあることへの嫉妬か。
けれど、からすればどちらでもよかった。
「弟くんは?」
「相変わらずだ」
「私、彼の相変らずが分からないんだけど」
会ったことがないから。笑ったに瞬は溜息を一つ。
合わせ世にある彼らの世界。
けれど瞬は、祟は、彼らのあるべき世界にいるのかはたまたゆきたちの望んだ世界にいるのか――には、一寸ばかり、分からない。
ただ分かることは。
これを境にきっとと瞬が顔を合わせることはないのだろうということ。
桜が散りつづけ、銀色の髪と桜色が綺麗なコントラストを描く。
「……瞬君」
どうか、息災で。
そう言い、彼女は手を差し出した。手の意味を汲み取りながら、困惑したような瞬には笑う。
彼はどうやら、神子という存在から目を離してぐるりと今世界を見ている過程らしい。前であれば容赦なく突き放された言葉を、今言うことを躊躇っているのだから。
もっと、世界を見て欲しいと思ったのはきっとだけではないだろう。故に、これは友情の証なのだ。
「手持ち無沙汰だから、はやく」
「…………お前は相変わらずだな」
「そうでもないよ」
龍馬さんたちも、もういなくなるから。
ゆっくりと笑ったに瞬は同じように静かにそうか、と言い返す。
兄。そして妹。
彼らの関係は似ていて、違って、寄り添い合う。
瞬にとってはゆきが、にとっては龍馬が其々の特別であったのはもう今更な話で。彼らが寄り添いあうのだから、残り物はなんだかんだで一緒にいることも増える。それも、今日までの話なのだけれど。
「龍馬さん、迷惑をかけると思うけど、よろしくね」
「……ああ」
「後、あとね」
よければ、私の家族にも、よろしく。
やっと彼女は言い出せた言葉に安堵して、少しだけ涙を流した。
両親にも、家族にも、みんなきっと心配をかけている。その心苦しさはある。けれど、もう彼女は決めてしまったから、戻れない。過去の自分があれほど必死に探していた帰り道を、自分で消しているなんで馬鹿げているのだが……瞬は静かに、分かったとだけ言って彼女の手を漸く掴んだ。
今更すぎる、握手だ。
「弟くんと仲良くね」
「……検討はする」
「検討じゃなくて、するの!」
それじゃあ、ね。
手を離すよりも先に桜が音を立てて、風に揺られ大きくうねりをあげて花を散らす。
一瞬の出来事に目をつむれば、先程までいた瞬の姿はもうなく、からっぽになった自分の手が目にはいった。
掌を拳に変えて、彼女は千年桜から背を向けて歩き始める。
涙は流れることはなく、気持ちのいい風が吹いている。
中岡が、静かにのことを待っているようで、彼女の姿を捉えると「おかえり」と言った。
「何か誰かと話していたのか?」
「はい、龍馬さんが面倒をかけるであろから、頼むと」
「違いない」
後。
付け加えてはいう。
「――あちらの世界で、龍馬さんに会えた時は、彼に、よろしく、って」
……中岡は彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でてそうか、と笑った。
静かに揺れる桜。千年桜は変わらず咲き誇り、春を告げる。
彼らはまた一歩、ゆっくりと歩き出した。