「政務官様、政務官様」
そろそろここらから出してくだせえよ。
牢番に言伝を伝えにきたジャーファルは露骨に顔を歪めた。
彼の格好を見れば初見で政務官であることは分かって当然ではあるが、他にも連れた人間たちではなく、彼はまっすぐにジャーファルを見ていた。
他の牢人とは異なる、うつろな目をしていないどころか獰猛な獣のような目に、嫌悪感を覚える。吐き捨てたくなる気持ちを込めながらも無視し、ジャーファルは踵を返した。
「ランプの秘密、知りたくねえのかァ?」
「……厳重に見はるように」
「は」
「ランプ」とは、この世界にあふれる照明器具のことだ。
だが、ジャーファルの足取りは次第に早くなっていく。彼の懐に入ったランプはひとつだけ。それも照明器具としてはいささか古典的な、部屋に飾るための、装飾品としての使い道ぐらいしかないランプだ。
「」
彼が呼べばランプは応える。彼が手を離すと薄い霧を立てて彼女は姿を表した。今まさに食事をしようとしていたのか、丼を手に持って首を傾げている姿に、ジャーファルは知らずして苛立つ。謎の物体である。彼女は、アラジン曰くこの世界に存在するはずのないものだ。
「なぁに、マスター。私のお昼ごはん食べたいの?」
あげないよ、入りませんよそんなもん。
テンポの良いやりとりをした後に、ジャーファルは今しがたの囚人がいた方向に目をやる。彼女の存在をあの囚人は知っていたが――……?
は特に関心があるわけなく、食事をとりながらジャーファルの言葉に返事を返していく。
貴女は何者か。魔人です。
どこから来たのか。ここではない世界。
役目は。あなたの願いを3つ叶えましょう。
「…………では、貴方の存在を知っているのは」
「マギと、高名な魔法使いは知ってるんじゃないかな。後はこの国の人たち」
「……私の前に仕えていた人間は?」
それは命令?は少しだけ笑った。
苛立ったジャーファルに対しては飄々とした雰囲気のまま返した。彼女のそういった雰囲気は時としてジャーファルをとてもいらだたせる。咳払いをひとつするとは彼の周囲をぐるりと回って「なぁに、マスター」とねちっこい言い方で彼を問う。
「不機嫌な理由が私?」
「そんなわけないでしょう、自惚れないでください」
「私のことを知らない自分が悔しい?」
図星である。一瞥すれば「こわいなぁ」と随分と楽しそうに彼女は言う。暗殺者として生きてきた自分の呆れたような視線をシンドバッド王はよく嘆き悲しんでいたというのに、彼女はそれすらも楽しんでいるように見えた。
窓のふちに身体を寄せ、は歌うように窓の先を指出し、掌から光の粒を出す。
「こういう、きれいなものとか、美しいものとか? そういうのを愛でるとね、ちょっと癒やされるでしょ」
「はあ」
光の粒は花に形を変えて、の手のひらの上に乗ると再び粒となって空間に消えた。
「マスターもね、りらーっくす、リラ〜ックス」
「……」
「仏頂面してもいいことないよぉ〜?」
マスターもね、もっと笑っていいんだよ。気分屋?脳天気?どんとこい。
ケラケラと笑うに、ジャーファルはため息を1つ盛大についた。ぐい、と頬を引っ張るとまるでモチのように彼女の頬は盛大に伸びる。ぐんぐんと引っ張れば引っ張るほどよく伸びた。
「……ジャーファルさん、何してるンスか?」
「ふぁるるふゃん!」
「……うっわ、これ何スか。?やべーすげー」
ぶにぶにと通りかかったシャルルカンが伸ばしている頬の間の生地部分をぶにぶにと押してみると、弾力があり跳ね返ってくる。おお、と彼らは二人揃って声を上げた。そして手を離せば勢い良く彼女の身体に跳ね返り、そして勢い余って彼女は窓から落ちた。
「あっ」
「げ」
大丈夫か、と慌てて二人が突っ込んでいけば、は空を悠然と闊歩しており、普段は消えている足を出して優雅に立っていた。
「マスター」
「……なんですか」
「私はジンニャーだから、マスターの願いを叶えてあげることしか出来ない」
それが私に課せられた使命みたいなものだからね。少しばかり寂しそうには言う。そんなアンニュイな雰囲気を無視してハァ?とシャルルカンは笑ってやる。彼女は見掛けの肌の色からすれば人とは違うし、魔力もジンと親しいものを持ち合わせている。
「つぅか、お前んなこといってるとヤムライハにとっつかまって解剖されるぞ」
「えーやだぁー」
「使命とかどーでもいいから、さっさと戻って来いっての」
「うへーシリアスにいってんのにぃ。ということでマスター、そこんとこ、よろしくね?」
シャルルカンの手をとり、ひょい、と窓から廊下に降りてきたは地に足をつけたまま、ぺたぺたと歩き出す。
彼は何のことかとジャーファルを見やるが、彼は仏頂面をしたまま暫くを見ている。
だが、ふと思い出したように顔を上げ、、と彼女の名を呼ぶ。
「お前に何があろうと、過去がどうだろうと知ったこっちゃあありません」
「……さっきとだいぶ違うね?」
「黙りなさい」
ジャーファルの二人称は良く分からない。は随分な物言いであると彼を笑いながら観察する。ごまのように小さくなったジャーファルとのやりとりが出来るのは恐らくジャーファルの耳が「とても良い」のと、の魔力の相性がいいからだろう。現実、シャルルカンは首を傾げている。
「お前のことを知る素振りをした囚人が居ますが、知ったこっちゃぁありません」
「……じゅーぶん気にしてるよ?」
「黙りなさい」
それ、二回目だ。
は笑う。
「ねぇマスター、願いを言ってくれたら私は何だって叶えてあげられるよ」
「嘘言うんじゃありません、万能じゃないでしょう」
「まぁ、そうなんだけどね?」
こういう時はありがとう嬉しいとか、いろいろ言ってくれればいいのに。の笑いなんて物ともせずジャーファルは悪態をついてみせる。
そんな彼らのやりとりにシャルルカンは首を傾げていたが……ふと、気づいたように手を叩いた。
「痴話喧嘩か!!」
「シャルルカン、頭大丈夫ですか」
……だが、それを一蹴されてしまってシャルルカンはやってきたピスティに慰められる結果になったのである。
「で、君が私の何を知ってるってェ?」
「ハァ?お前誰だ」
「……だーって、マスター」
ほうらね、なんてのまるで見え透いていたかのような態度の笑顔。
……思わず手が滑って殴ってしまいそうなのをジャーファルは堪えてつかつかと出て行ってしまう。取り残された囚人は若い女が来たことに喜び下卑た笑いを浮かべる。政務官であるジャーファルが気に入っているようにも見えて、取り入ろうという魂胆だろう。お嬢さん、とねちっこいしゃべり方をしてみせる。
「あぁ、悪いけど私そういうの分からないし興味ないから」
「へぇ?アンタに随分あの男は執着してるみてぇだけど、恋人かい?」
「あっはっは、こんなところに連れてくる恋人とか御免こうむるかな!」
それよりも、と1つ区切っては男に顔を近づける。
光の粒が彼の耳に入り込み、ごうんごうんと鈍い音が響いた。それが「魔法使い」の「音」を使ったマゴイだということに気づくよりも早く、鈍い音は甲高い音になり――……ぐらぐらと揺れる男の前で、はにこりと笑いながら会話を続ける。
「あんまりうちのマスター、誑かさないでよね。ああ見えて疑り深くて面倒な奴だから」
は笑う。
その笑い声は誰にもとどかないまま……扉がゆっくりと閉められた。
翌日、その囚人が人が変わったかのような態度をとるので看守が首を傾げ事情を聞けばまるで洗脳されているかのような聖人ぷりに―――思わず顔を見合わせたとか、見合わせなかったとか。