という名前を付けたのはどこの誰だったのかどうしてこの名前がついたのか。など、という魔人に対してはいささか疑問が残る。
だが、彼女の現在の主君たるジャーファルは彼女のその謎めいたところに関しては多少目を向けないようにして、彼女を使役しているようだ。
はその身体を半分煙にした状態で、彼女の主たるジャーファルの肩に手をかけて乗っている。
乗っている、と比喩していいのか少し困惑するが、とりあえず彼女は「乗っている」のである。
「貴女がいるせいで、とんだ悪役ですね」
「それは逆光から出てこないとダメでしょ」
ほら、こうさ、相手に小さな悲鳴を浴びせてさ、それでゆっくり来て月明かりにぴかーって。
全く解説になっていない彼女の「悪役論」にジャーファルは興味なく直ぐに視線を前へ向ける。
王は相変わらず虚空を見つめており、大理石の階段の一番上で見下ろしていた。
「……シン、いい加減休んだらどうです」
「んー? あぁ、うん、そんな時間か」
覇王は時折何かを考え込んでいる。
どうやらマギであるアラジンの行方が気がかりのようだ。はシンドバッド王の気がかりなどどうでも良さそうに欠伸を一つして、乗っていたジャーファルから滑り落ちた。
髪の毛がいつもより光を増しているのは彼女の体調に応じて光る仕組みにでもなっているのだろうか。ジャーファルが尋ねればそんな馬鹿な、とはけらけらと笑ってみせた。
「これは多分、気分的なの」
「なんて紛らわしい」
「つーかね、王様」
無視かこら、無視なのか。
ジャーファルを無視してはその足を一歩一歩シンドバッド王へ近づけていく。
月明かりに照らされていくと彼女は段々と形をなし、人間の姿になる。これもまた、彼女の気分だ。
いつもそれぐらい静かであればいいのだが、それはそれで何だかおもしろみがない。
そんなくだらない事を考えるジャーファルを無視しはシンドバッド王を見つめた。
「どうせね、王サマが出来ることなんかたかが知れてると思うよ」
「…………言うねえ、」
「悩んでどうこう変わるなら考えてもいいとは思うけど、不毛だよ不毛。全く意味ナイじゃん?何、ナーバスなお年ごろなの」
「こら、」
白髪を見つけたらそっと魔法で黒くしろと言ったのはマスターじゃあないの。何事もなくはジャーファルに聞き返す。
月明かりを浴びるシンドバッドの横で歯を浮かべて微笑う彼女はとても魔人とは思えないものであったが……ジャーファルはそんなことよりも心の底から頭を抱えたかった。
白髪、というキーワードに石のように固まったシンドバッド王。
そして悪気が皆無な。最悪だ。
は大理石の階段を登り切ると縁に手をかけ、そのまま空を歩き出した。飛び降りたのかと思い反射的に一歩前に出たが、思えば彼女は人間ではないので重力も何も関係ない。
空中闊歩を繰り広げながらは上機嫌気味に満月を見上げる。
「心配してもさぁ、始まんないでしょ、王サマ」
「…………は心配にはならないんだな」
「アラジンたちのことが? うーん、ほら、言うじゃん、可愛い子には旅をさせろって」
くるくると回るにジャーファルは「こら」ともう一度彼女を制するが、シンドバッドはくつくつと笑った。
魔人に諭されるとは思っていなかった。それも、どこの馬の骨かも分からない異界の、異教徒らしき異人に。宮殿の空を歩くをぼんやりと見つめながら「ナーバスになっていたと思うか」と尋ねたシンドバッドには口端をゆるめ、さあ、とはぐらかしてみせた。
……つくづく、この時ジャーファルはこの2人の悪いところがそっくりであると感じたものである。
その間にたたされる従者というのは何かにつけて大変だということをわかっているのだろうか。そう考えだすと何だか段々とムカムカしてきた。
「王サマも空中散歩してみる?あ、飛べるんだっけ」
「いや、君のように自由気ままというわけにはいかんさ。それにしても、器用なものだな」
「なんてったって魔人だからね。何なら二人くらいなら抱えてあげてもいいんだよ?」
「はっはっは、メンツ上それは少々難しいな」
しかも、彼らはジャーファルをそっちのけで談笑を続けている。いい度胸をしている。
は両肩をすくめるとその手を何度か叩いて、指先からキラキラと光る、どうやらルフのようなものを飛ばす。
その光はシンドバッドとジャーファルの足元に絡み、そして彼らの意思を無視してぐんぐんと今しがた彼女が飛び出したその場所へと向かう。そうして、彼らは宮廷をその文字の通り飛び出した。
「おお、何だ、変な気分だな」
「嘘つけー王サマ飛べるじゃん。マスター、マスター!歩けないなら私が手をとって歩き方を教えてあげるよ!」
「いらんわ!」
まるで光の地面を歩いているような、そんな感覚。
ジャーファルは足元に広がる街を見下ろす。国はすべて王が力を持って、広めてきたものだ。今では「シンドリアであれば受け入れてくれる」と多民族が足を運んでいる。彼の手腕が物をいっている証拠だ。そして、それは文官であり従者たるジャーファルにとってはとても誇り高く感じれるものでもあった。
そんなジャーファルの考えを無視しては「さぁさ、ご両人、お立会い」と胡散臭い魔法使いのように手を鳴らす。自称世界一の大魔導師、なんても名乗っているの言動はどこからどう見てもペテン師なのだが、怒るのであればまとめて叱ろう。ジャーファルは顔をしかめながら、彼女の言うがまま視線をくべる。
「今から私が3つ数えると、この世界は光に包まれます、オーケー?」
「…………何を唐突に」
「いいじゃない、唐突。大いに結構」
「自分で言うな自分で」
勿論、拒否権なんてものは当初から存在しない。空、そして宵。それらはの独壇場で、人が眠りについた今だからこそ―――彼女は、この世のものではない、この世界のものでもない魔人の力を発揮しだす。
「さぁ、いっくよー!」
みっつ数えれば、ジャーファルの足元から一気に金色の光が上空に向かっていく。
ピチチ、ピチチと音を立てるそれを何か、なんて聞くだけに野暮だった。この世界に存在している魔力の大本。ルフ。はルフを飛ばしていく。ルフが色を持ち、そして飛んでいく姿は幻想的な事この上ない。目が奪われ呆然としていると、はにこにこと笑ってシンドバッドとジャーファルの手をぐいと引っ張る。
「ハァイ!絨毯くんカモーン!二人をお部屋まで送ってってね!」
「はぁ?!」
「ということで、お二人さん、私のイリュージョンのお代金は二人の睡眠時間ってことで頂きますよォ、ごちそうさまでした!」
「何馬鹿言ってるんですか、大体夢なんか食べれないでしょうは魔人であって夢魔じゃないんですから!」
ジャーファルのツッコミは至極的確だが、の耳には馬耳東風だ。ロバの耳に自身の耳を変えて聞こえなーい聞こえな―いと茶化す始末だ。
忘れやすいが、とジャーファルの関係は主従である。青筋を立てるジャーファルを他所に、暫く黙っていたシンドバッド王がぷるぷると震えだした。
「えっ王サマどうしたの絨毯酔?エチケット袋居る?すいませーんおりますおりまーす!」
「ちょっと黙ってなさい!」
「空は私の独壇場ってさっき地の文で言ってたのに!」
ジャーファルは頭痛と闘いながらシンドバッド王を見やる。さらり、と束ねられた髪の毛が揺れる。……彼は小刻みに震えていた。
「…………シン?」
「……………………す、すまん、限界だ」
そう言い出すと彼はせきを切ったかのように笑い転げた。
そのでかい図体をかがめてぶるぶると震え、そして止めどない笑い声を発揮する。唐突なことに、思いがけずとジャーファルは顔を見合わせた。
先にしでかしたのはどちらだ。どちらでもない。というか、にとってもジャーファルにとってもある意味で「いつものこと」だったのである。やがてシンドバッドは耐え切れなくなったのか、ぜえ、はあ、と笑い切りそして顔を上げた。うっすらと涙が見えるのは気のせいだと思いたい……。
「いやなんだ、ジャーファルがここまで喜怒哀楽を見せてくれるとはなぁ、うんうん」
「あー、息子の成長が嬉しいお母さん的な?」
「そうだな、息子をよろしく頼むぞ、!」
「御意御意〜ってね!」
誰が息子だそして御意するなそういう問題じゃないだろう何なんだアンタ等!彼のツッコミはひたすらに的確で、そんな彼のツッコミを期待していたかのようにとシンドバッド王はけらけらと微笑う。
……ジャーファルの頭痛は増すばかりだ。
だが、とふと考えてみる。先ほどの物思いにふけているシンドバッド王を見るのは彼としてはあまり好ましくない。彼は覇道を突き進む男だ。
そう解釈しているし、だからこそ一緒に同じ道を歩いてきている。彼を守る盾となり矛となる。それが暗殺者としての一面も持っているジャーファルのアイデンティティのようなものだ。
「マスター、ほらー難しい顔しても胃痛は治らないと思うよ、私」
「誰のせいだ誰の!」
ゆえに、彼は少しばかり思う。もしかして、もしかしたら。…………は少しばかり気遣っていたのかもしれない。
なぜなら彼女もまた従者であるからだ。ジャーファルにとってシンドバッド王がそうであるように、もそうなのかもしれない。あくまでも推測の域を出ない考えであり、ジャーファルから見たはそんな高く評価されるようなタイプの人種ではない。だが、実際彼女がいるとシンドバッド王はいろいろな意味でよく微笑う。・・・・・そしてそれは、ジャーファルにも言えることなの、かもしれない。
「マスター、きばらし出来た?」
「ええ、全く気遣いが下手くそな従者を持って私は泣きそうですよ」
「そりゃあ良かった」
歯を浮かべて笑ったに、ジャーファルはため息を付き……そして、シンドバッド王は彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。褒めてつかわすぞ、なんてどこぞの成金のようにいう当たり彼もまた、の悪乗りに乗っかっているようである。
「シン、寝なさい!明日はお客様が来るとピスティが言っていたでしょう!」
「あ、そうだったなぁ」
「も!魔力ためていつでもあの忌々しいジュダルを倒せるようにするように!」
「ワーオ超悪党っぽくていいねマスター」
「いいから!私は寝ますからね!」
ジャーファルはきびきびと去っていく。その姿を見送りながらとシンドバッド王は目を合わせ、そしてにい、と揃って笑った。
次の日。案の定シンドバッド王は客人が来る少し前に飛び起きて大惨事となり、は食事をしながら身体半分をランプとつなげていたためピスティの仲間たちに突かれ半分ほど食われそうになった。
それに対し、一方でジャーファルは数日ぶりにすがすがしい朝を迎えたのである。
そこで彼は漸く気づいた。
(やられた!)
のしたり顔を思い出し、彼は頬が朱に染まるのを感じ取った。何だこの周りくどい優しさは。要するに、さっさと寝ろと叱りつけておいて自分が寝れるように仕向けたのだ、は。そしてそれには王であるシンドバッド王も一枚噛んでいる。百面相をしているジャーファルを他所に、ヤムライハが外ではが食事になりかけているのをシャルルカンと共に止めているようだ。
ピチチ、ピチチと鳥の音がする。
―――その音は、どこか昨日聞いたルフと似ているような、そんな気がしてジャーファルは口元を緩めずにはいられなかった。
そうして、また、朝がやってくる。
いつもと同じ、そして騒がしい朝が。