「やっほー、シャルルカン」
「何やってんの、オマエ」
街の出店でを見かけた。それだけならばよかったのだが、偶然にもシャルルカンはこの時1人であり、彼の弟子であるアリババの姿もなかった。一人で町を歩けば八人将……守護天使として謳われているシャルルカンは有名人であり自然と視線を集めている。そんな中で、ランプの精は目下食事中なのか、シャルルカンの気配に気づいてなのかひらひらと手を振って見せる。
町中での魔法の発動を禁じられている手前派手なことをも出来ないが、ジャーファルという主は彼女にとって中々の上玉らしく、紳士的に物事が運んでいる。隣の席に腰掛けると彼女はぶどう酒を飲んでおり、偶にくゆらせているヴァニラの香りがより一層鼻を擽る。シャルルカン分、少し移動しながらは白身魚のハーブ焼きを綺麗に平らげていく。
「ジンでも腹は減るんだな」
「食べなくてもまぁ、困らないんだけどね。美味しい物って食べたくなるよね」
「……おやつ代わりかよ」
のテーブルの上に乗っているゴブレットの中にはすっかり酒はなくなっている。騒がしい出店で通りすぎていく女たちを横目に、シャルルカンはメニューに書かれたものの中でも肉類をさらさらと読み上げ、最後にシンドリアでよく飲まれている蒸留酒を頼んだ。
ちかちかと炎が僅かに揺れる。オレンジの光にぼんやりとシャルルカンが目をやっていると、首に絡まった金属がカチャカチャと妙に音を立てることに気づいた。
何事かと視線を落とすとが彼の首先にある鎖を魔法で僅かに動かしている。
「こら、やめろ」
「だってつまんないんだもん。マスターは来てくれないし、ヤムライハは勉強とかいうし、ピスティはマスルールといっちゃうし!王サマのとこ言ったらマスターに怒られたし!」
「何言った」
「飲もうって」
「そりゃ当たり前だ」
ぶーぶー文句を言いながら、は空っぽになったゴブレットに触れ、そのまま指先を動かす。それまでテーブルに脚をぴたりとつけていたグラスが浮き、そのままシャルルカンの手に渡る。酔っているのかと聞かれれば彼女は通常通りであり、顔色も特別赤らんでいるわけではない。このあたりは実にヤムライハやピスティたちとは違うのが分かる。
ピスティは強いくせに顔に出る。ヤムライハは絡み酒だ。ジンというのは酒や水タバコ……シーシャだとか、随分と俗っぽいものだ、とシャルルカンはを見やる。実際のところ、シンドバッドが契約を結んだジンたちとは明確に異なる。彼らとが語らっているのを見たことはないのだが、彼女は喉の奥を震わせて、酒の前で押し殺したように笑って語る。面白い人達であると。
酒と前菜が運ばれてくるとは店の店員に樽のジョッキで一等上等なぶどう酒を頼んだ。どのぐらい飲んでいるのか、というものは聞かないでおくのが得策である。シャルルカンはグラスを傾けにゴブレットを返してやる。そこからの流れは彼女もさすがにわかっていたのだろう、グラスを動かし、こつん、と鳴らす。酒のつまみにと出されたナッツを放り込めばかりり、と小気味良い音が耳に届いた。
祭りというわけでもなく、宵闇に包まれているわけでもない、いつもの、平日の夜だ。けれど随分とは上機嫌で、にこにこといつもよりも笑っている。
「なんだよ、機嫌良いな」
「シャルルカンとご飯出来るなんて嬉しいなぁ」
「ハァ? いつもやってるだろ」
八人将の若手と飲んだり、彼の弟子であるアリババとの食事をしたり、彼がふらりと立ち寄った女性が相手をしてくれる店にがいるのは割りとよくある話だ。聞けば「相手してくれる人がいないし」ということらしい。無意味なことに魔法を使うのでヤムライハが発狂しないのか少し気がかりだったが、彼女は生憎と目下曰く仕事に篭っているらしいので、問題ないだろう。
たくさんのスパイスを取りながら、はにこにこと笑っている。随分な平和ボケした顔つきで、シャルルカンは話せば話すほど彼女が「異界」の者であるとか、「ランプの魔人」であるとか。「神通力に似た摩訶不思議な魔法」を使えるだとか、忘れそうになる。
脚をぶらぶらさせているあたり、流石にジンニャーの姿で動きまわることは避けたのだろう気遣いが分かる。
「どーだよ、この世界は」
「悪くはないね、ご飯おいしいし、魔法使いもいっぱいいるし」
「ケッ、お前も魔法バカかよ」
魔法オタクなんて一人で十分だ。苦々しく言うシャルルカンには思わず笑い飛ばした。
肩を震わせ、机をたたき、余りの笑い声に何人かが何事かと立ち止まり振り返るほどである。騒がしい彼女の笑いに頭を軽くはたくと、涙目になりながら彼女は起き上がる。木のテーブルの跡が微妙に残っているのはジンニャーのいつもの悪乗りぐらいにしかシャルルカンは見ていない。姿を変え、形を変え、色々なものに化けて色々なものを魔法を使って説明する。それが魔人。それがである。
「だって、ほら、うん、ジンニャーに魔法バカも何もないじゃん!」
「うっせー、お前の酒来たぞほら、飲め!」
「ごちそうさまー!」
「奢らねえよ!!」
彼の嘆きなんて聞こえない。
ただ、はころころ笑ってもう一度樽ジョッキで乾杯するとごくごくと飲み干していく。店主がシャルルカンが来たことにやっと気づいて挨拶をしに来たが、並んで食べて飲んで笑っているの存在に気づくと早々に「おじゃましました」と去っていってしまう。これではまるで、仲睦まじい男女が肩を寄せあい笑い合い、デートに見えるのだろう。
普段なら、それこそ可愛い女の子相手ならシャルルカンも喜んで載っただろう。口説いただろう。
けれど相手はジンだ。しかも、主は本人は未だに嫌がって入るがあのジャーファルとなっている。しかも口説いたところでどうしようもないだろう。多分、笑い飛ばされることを直感でシャルルカンは悟っていた。賑やかなシンドリアの街で騒がしくは笑う。すぐにまた空っぽになったジョッキを持ち上げて「次ラム酒でー」とオーダーしているあたり、女と言うよりも男友達に親しいものをシャルルカンは思わず感じた。
女というものは守りたくなるものだ。気が強い女、淑やかな女。総じて女たちというものは其々にいろいろな面を持っていてそこが可愛いところでもある。
くん、と僅かにの香りを嗅いでみる。シーシャでも酒でもない、ジャスミンのような香りがした。
急に黙り込んだシャルルカンをは見上げ、気づけば至近距離で視線がぶつかる。人の姿をしている時のの評価は、そのままではあるが、神秘的なものを感じさせる。それはきっと彼女が「人ではない」からなのだろう。
ジャスミンに、僅かにぴりりとスパイスの香りがする。
妙に官能的で、神秘的で、そんなにも飲んでいないはずだというのにシャルルカンは不自然なほど彼女に食らいつきたくなった。
「」
「んんー?」
「キスしたい」
「それはシャルルカンがマスターになったら願い事ってことで」
くらくらと酔っているシャルルカンの戯言をジンニャーの祝福のくちづけは安売りしませーん、なんて笑い半分では流す。
代わりに彼の唇に人差し指、中指、薬指をくっつけさせる。
僅かなリップ音が響いて、妙に艶かしくもあったが直ぐには手を離しそのままぱちんと指を鳴らした。きらきら、静かに彼の上に光の粒が降る。その色は彼の髪の色によく似ていて、シャルルカンの掌に落ちるとじんわりと溶けて消えていく。
「ふふふー、元気の出る、魔法だよ」
「お前ってホンット、ガキだよなあ」
「いきなり口説こうとした誰かさんより私は300歳は年上だけどね!」
そうだ、どうかしている。
今起きたことを忘れるようにの手元にあったラム酒を飲めば、ラムの独特的な香りがシャルルカンの鼻を擽った。むせるような香り。ジンニャーというのは変な色香を放っているものなのだろうか。
そんなことをグラグラと考えながら、そんなことありえないと頭を振る。ただの酔の勢い。そうとしか言いようもなく、もそれで笑っている。それでいい。それがいい。
シャルルカンは今起きたことをさっさと忘れるべく麦酒を頼み、何度目かわからない乾杯をと交わし、飲み合う。
どのくらい飲んだのかわからなくなって、記憶が曖昧になった頃、が「ばかだなー」とケラケラと笑っていた。
街は段々と静かになり、シャルルカンは重い瞼を開けながら、どうにか保っている意識の中で「バカはお前だ」と絞りだすような声で言ってやる。は驚いた顔をしたが、彼のセットされた髪の毛をぐしゃぐしゃと犬猫にしてやるように撫でたあとに「そーだね」と笑ってみせる。
今日は可笑しい。どこから可笑しかったのか、これはの見せている夢なのかもしれないとのんきにシャルルカンは思い始めた。
出逢ったことすら夢で、キスをしたいと思ったことも夢なのだろう。はジンニャーだ。それぐらい出来るだろう。米神を抑えながら重苦しいため息を付いて、店主に会計を頼んだ。の呆れたような溜息が聞こえてきたが、そこも無視しよう。
「あ、私マスターからお金貰ってる」
「うっせ、奢られてろ」
「潰しちゃったのに?」
「潰れてねえ」
お前とことん性格悪いな。
苦く呟いたシャルルカンの言葉に、は少しばかり意地悪く笑って身体を浮かせ――頬に、軽く口づけてやった。
「あっはっは、バカ面! お礼だよ!」
「…………お前なぁ……」
「うんうん、ああ、今日も一日楽しかったね!」
は元の体に戻ると、自分の体がまっすぐに伸びているところへ視線を向けた。どうやらジャーファルは近くにいるらしい。
会計を済ませた後立ち上がったシャルルカンの横をは浮かぶ。店主が驚いたようにを見ていたが――彼女は笑っているし、シャルルカンはやれやれと溜息をついているので、あえてツッコミを入れないことにした。
夜も更けてきたからだろう。街は静まり返っていて、そんな中を二人でゆるりと歩いて行く事も悪くはない。
静かに歩きながら、シャルルカンは珍しく静かなに聞いてみた。
「お前、シンドリアはどうだよ」
「うん?」
いいところだろ。彼の言葉は、妙にの心に染みた。彼女はほんの少し――宵闇に隠れて、シャルルカンからは見えなかったが寂しそうな顔で「そうだね」と呟く。
風がでてきて、かぼちゃ色のような月もぽっかりと空に浮かぶ。満天の星たちは静かに二人を包み、シャルルカンの見えないルフたちはの周りをくるりと態々旋回した後にまっすぐ道を作っていった。
「この世界は、多分きっと、少しの不思議に満ち溢れてるんだね」
「……さーて、さっさと帰るか、ジャーファルさんに怒られる覚悟はしとけよ、お前飲み過ぎ」
「やだーマスターの雷やだー! 王様と飲みたかったのにー!」
「まだ言うか。喰われても知らねえぞ」
静かに、ゆったりと、道を歩いて行く。先程まで色香だなんだと言っていたのに、妙に姿を隠しているせいで逆に気恥ずかしい。シャルルカンはだまりながらゆっくりと歩くので、が少し前にいって、その度に立ち止まり、振り返る。
「シャルルカンは本当に私のことが好きなんだねえ」
「お前前向きにもほどがあるだろ」
私も大抵だけど、君も随分大抵だ。うんうんと頷いた彼女の頭をがしりと掴んで、シャルルカンはそのまま頭突きをひとつしてやった。
くらくらするのは彼女が石頭なせいだ。
そして――あの時、ランプをこすっていたのが自分なら、なんて今になって思ったのは間違いなく気の迷い以外の何物でもない。そう言い聞かせるようにして、シャルルカンは濁点つきの鈍い声を上げた。
月明かりに照らされて、影がふたつ。
今も尚、ゆらゆらと揺れている。
……シャルルカンが戻ってから後、どうして彼女に口付けようとしたのか分からないせいでそれを考えている間にあっという間に時間がすぎ寝不足になったのは後日談である。