10.戀模様ハ何色カ【後編】

唐突すぎる言葉に彼はすこぶる驚いてをしげしげと見つめている。
は今の自分の言った言葉に、他でもない自分自身が気づいて「あっ」と声を漏らし、みるみるうちに真っ青になるほど顔色を変えた。
何故に真っ青。勇の内心の疑問に彼女は応える余裕すらないらしい。


「あの、いや、その」

そういう意味じゃなくて。
困惑を隠しきれず、けれどうまく否定も出来ず、彼女は落ち着くように息を吸い込むが、結果は空回りをしてばかりだ。ひゅ、と空を切るように息を吸い込んでも意味なく消えていく音だけが響く。
空砲の音も、人の話し声もしない。
ただ、街鉄の走る独特な音だけだ妙に耳を劈く。

「……足は痛むか」
「えっ!?」

勇の口から漸く出てきた言葉に、は今までにないくらいに高いすり切れた声をあげた。
まるで酸っぱいものを食べたような顔に変わり、何度も首を縦に振るので勇は「そうか」と淡々と切り返すことに徹している。
敢えて、彼は何も言わなかった。その毅然とした態度での頭をがしがしと何度か撫でて何かを言い残すわけでもなく背を向け駐屯地の中へと入っていってしまう。
髪の毛がぴょん、と跳ねたことに気づきながらも、は何も言わず――否、何も言えず。
唯呆然と立ち尽くした後、急激すぎる己の発言にしゃがみこんでしまう。

しゃがみこもうとした瞬間に、ずきん、ずきんと痛みがより増して、足を動かしたことに大層後悔したのは言うまでもない。

「なんてこと……」

自分は何をやっているのだろう。
勇は敏い男だ。いくら天然だったり、頑固だったりしても、彼女の思いの先に自分がいることなど今の会話で気づかないほど馬鹿じゃない。
けれど、その気持に勇が拾うことはきっとないだろうし、にとってみれば、そんなことを望んでいるわけでもない。ただ、思ったことが全て先に口に出たのが悪い。
……ぬかった。

「最悪」

足が痛いがそれ以上に心が痛い。どうしたらいいのかも分からない、混乱した状態で敢えて気にしない様にしている勇も分からない。
答えは見いだせず、かといって今までのように振る舞えるかと尋ねられれば間違いなく否、だ。は鬱々しく溜息を零すと、何人かの軍人が彼女の姿が気になるのか顔を出して、直ぐにさっと隠れていく。慌てては立ち上がり、姿勢よくすれば巽大将が偶然にも顔を出してきた。

「巽様」
「これはこれは、殿。倅とはうまくやっているかな」
「うまく……はわかりませんが、お話を伺う度に勉強になっています」

そうか。目を細めた巽に改めて彼ら親子が似ていないことを沁沁と彼女は感じ取る。どちらかと言えば、巽大将は野心家で策略家だ。その息子の巽は……どちらかといえば、優しい性格をしている。学者のような雰囲気があるものだから、何故軍人になったのかと聞きたくなるほどだ。
彼女の答えに何度か頷いた後に「殿と倅が一緒になってもらうのが最もいいと思うのですがな、いやあ、まだお若いですし、心変わりもするでしょう」頃合いを見て、また縁談のお話をさせていただきますよ、とさり気なく巽は釘を刺し、そのまま去っていく。
はその後姿を見ながら、聞こえないように溜息を付いた。
どうやっても回ってくる家柄。縁談は逃げようがないらしい。

「人として気に入ってる、だけじゃ駄目なのかしら」

家がどうとか、血筋がどうとか。
仕方のない事で、はどうあがいても、軍人の家の人間だ。
懇懇と考えていると、後ろからおい、という声が聞こえてくる。

「何をそこに立っておる」
「大佐」
「……足を怪我しているのだ、座っていろ」

きついはずの言葉がいつもと違って柔らかいだけで、は泣きたくなる。椅子に座らされ、ぼんやりと庭先を見ていると彼は唯黙っての隣で腕を組んで同じ方向を見ているばかりだ。昼休みだろうに、いいのだろうか。視線で彼を追いかければなんだ、と目線を合わせるわけでもなく彼は尋ね返してくる。

「……お昼は、いいんですか?」
「貴様を置いていけば中将に顔向け出来ん」
「……ああ、そうですか」

“あの人”の考えは良くわからない。はぽつりとそうつぶやいて遠い目をしていた。家がどうとか、血筋がどうとか、そういうことを気にしている素振りは無いが、そこまでの地位に登っていった男だ。真意は見えない。

「……貴様は」
「はい?」
「巽と結婚するのか」

その問いに、彼女は嗚呼、先ほどの話題かとようやく気づき首を横に振った。
気持ちはこの前も今も変わらない。巽の言葉も信じている。勇は巽がを嫌いではないようだが、と静かに尋ねたが、はくつくつと喉の奥を震わせて笑った。
誰も彼もが、皆、男と女の関係に結び付けたがる。勇も、また。
この考えに同意をしてくれる人間はきっと少ないだろうし、もまた第三者の立場になったのなら人々と同じ考えを言うのだろう。

「大佐ってひどいですね」
「なんだと」

そっぽを向きながら、車を待ち続けるに勇はごほん、と咳払いを一つ。けれど彼女は此方を見ることはなかった。
ぐいと肩を寄せれば驚いたように目を丸くして振り返られる。そういえば、こんなに近いのは何時ぶりだろうか。思いを馳せながらじっとを見つめれば彼女は随分と困惑したような顔で、彼を見ている。

「……貴様は、分からん」
「え」
「考えていることが、分からん。何なのだ、貴様は」
「何って言われても」

返答に困る、と彼女はそのまま思ったまま、口にした。
勇は口をへの字にしながら、柳眉を逆立てつつ溜息をこぼす。端正な顔立ちがもったいない、と思わずにはいられない。

「何故俺の視界に入る」

何故、俺に口出しする。何故、ここにいる。何故、引っ掻き回す。
何故、何故、何故。
いくつも零れ落ちる「何故」の言葉には当惑し、勇の名前を呼ぶことが精一杯だった。彼はくしゃりと髪を握り、眉間の皺をより濃くさせている。
ただ、その顔をさせているのは間違いなく「」であるのだと、彼女は気づいている。

「それは」
「貴様は俺を何故戀慕う」
「……そんなの」

こっちが聞きたい。こっちが知りたい。
の物言いは決して「戀ひ慕う乙女」とは言いがたいものかもしれないが、彼女の表情は困惑に満ちている。此処が何処で、何をする場所で、という自覚がないわけではないし、決して世界に浸っているわけでもないのだが――思いが、うまく形にならないことにもどかしさを感じずには居られない。


「大佐」
「……貴様が俺を慕うなど、ありえん話だ」

何故、彼女がその動きに出たのかは分からなかった。
日頃からハイカラだのモダンガァルだの色々なことがあったにしても、彼女は結局のところ庶民として生活していたとはいえ、「」の正当な跡継ぎであり、唯一の一人娘だ。どんなにハイカラでも、どんなにじゃじゃ馬でも、どんなに庶民育ちであっても、彼女はその決して逃れられない血筋と家柄を背負っているし、分かっている。
……だが、彼女の指先が、勇の頬に鋭くあたったとき、間違いなく驚いたのは勇で、間違いなく怒っていたのはである。


「大佐の馬鹿」

彼女は泣いては居なかったが、勇は彼女は泣くのではないかと思った。
の手はかすかに震えていて、日向の中であるというのに寒気でもあるのではないかと想うほどだ。
勇の追随を許さないようには言う。


「気づかないで欲しいのに」

「気づかないで、暴かないで、見せつけないで」

私が私でなくなるから。
どうしたらいいのかわからなくなるから。
漸く言い出せた言葉に、はあと重々しいため息をつくと彼女は顔を俯かせそれ以上は沈黙した。勇は珍しく狼狽し、、と彼女の名を呼ぶも彼女は口をつぐみ、沈黙を守っている。


「……貴様は、俺を戀い慕うか。それでも尚」

家柄がどうとか、血筋がどうとか、そういったことに彼らの関係は問題などないだろう。寧ろ、ずっと断り続けてきた縁談の中であり、周囲の目は祝福と驚きとで混じり合うことは想像がつく。けれど、勇の心はが彼を恋慕う姿など思いつかなかったし、裏を返せば自分がを想うことなど、有り得ない範疇の話である。
けれど今こうして、歳相応の反応をしてみせている。

「……巽との結婚はどうする」
「……」
「俺は、貴様を連れて逃げるなど、せんぞ」
「……」

莫迦だと、は自分のことを想う。いうつもりなどなかったし、あくまでも確証がない話で、気づいていなければそのままでいられた話だ。
足元へ視線を送れば、勇のぴかぴかに光った靴が目に入る。
光に反射するだけで自分が惨めな気持ちになるのは何故だろう。わけが分からなかった。


勇は彼女の頭に手をぽん、と置いた。が「え」というよりも早くぐしゃぐしゃになるまで撫でる。
先ほどまでの会話から何の結びつきもなく、彼女が顔を上げると、当惑したように彼は片方の手を口元に当てていた。

「……だが、巽にやるつもりもない」
「……大佐」

それは、もしかして。
彼女の問いは、自分の首を締めることであるのに、彼女は敢えて口にした。その言葉に大層勇は驚き、そして大笑いした後に「さて、どうであろうな」と曖昧に濁して見せる。


「貴様が俺のシュネーヴィトヒェンであるのであれば……あるいは」

くつくつ、と笑った勇がどこか子供のようで、は姿勢をしゃん、と伸ばした後に痛む足をこらえながら勇を見上げる。
何年か前に横に並んだ時も、少し前も、今も、何ひとつ彼は変わっていない。変わったのは恐らくは周りの状況との心境だ。

「大佐のお姫様になることは、私はしませんよ」


今度は勇が驚く番であり、彼は繁々とを見つめる。は、いつものように、楽しそうに笑った後にやっとやってきた車に視線を向けながら言う。

「私は深窓の御令嬢ではないですから」
「……違わんな。貴様は深窓にいたとて、窓から飛び出すであろう」
「家は、捨てませんけどね」

なんてわがままな、なんて強欲な娘だ。
勇が笑ったが、もまた笑い返した。やってきた運転手は此処暫くの出来事を何となしに察していた男で、が自然体で絵笑っていることに随分と安堵してみせた。



―― 春爛漫、彩る色は戀いの色。


2012.03.21