ひっきりなしに出される受験戦争に対する危機感。すでに内申点が高い私立組は早々に大学や専門学校を決めている。
模擬試験の結果はB判定。可も無く不可も無くだ。頑張れば手に届く、だが安牌ではない。
友人達はあーだのこーだの試験に向けた対策として大学受験の赤本を読み、英単語をより覚えようと頭に詰め込んでいる。
もその例に漏れないはずだった。そう、今日の朝までは。
英単語や古語を覚えてもすり抜けていく現状の原因は明らかに今朝の出来事であり、現代に馴染みきったその姿を「藤堂平助」であるとイコールで結ぶことは困難であった。
何故、彼がここにいるのか分からない。
くるりとマーカーをペン回しの容量で回してみる。答えは矢張り出なかった。

「ねえ平助君、今日何かあったの?」
「え」
その頃、同じ時間、違う場所で“藤堂平助”は非常に困惑していた。
というのも、記憶が随分と混濁しているのである。
彼はつい今しがたまで戦いに赴いてたはずだし、刀を握っていたはずだ。
加えて言うならば、不可思議な鬼と遭遇し彼に「時空の狭間」というものに突き落とされ突き放されていた。……だが、同時に彼は自分の現状を改めて把握する。
私立薄桜学園。男子九分九厘。女子一握りのこの学校で、学校の数少ない女子の「幼なじみ」であるのが自分だ。そしてその幼なじみが雪村千鶴その人で、彼女を慕う男子生徒も数多くいる。その連中に疎まれながら日々を過ごしている。ここまでは記憶として把握できている。
どこまでが夢で、どこからが現実なのか、藤堂平助はよく分からないでいた。もしかしたら白昼夢を長いことみていたのかもしれない。そう割り切ることもできるが、ならばという亜空間、未来からきた女の説明がつかないのだ。
首をひねっていると、放っておけよと井吹龍之介が彼のカレーパンをひょいと奪い取り食べ始めてしまった。
最近藤堂平助の日課としては、1学年下の後輩である井吹龍之介と自分の幼馴染との昼食である。同学年の友人達からは「お前ただでさえ雪村と一緒なのにそれ以上一緒にいるとか何の嫌がらせだよ!」と嘆かれている。勿論他意はない。
「あー!おい、それ俺のだろー!」
「お前が食わねえからだろー」
あれは何だ。これは携帯電話。
あれは、黒板。これは、井吹龍之介。聞かれれば答えられる。
だが、確かにあの場所でとぶつかった際に―――ここはどこだ、とまるで時空を遡ってきたかのような錯覚を彼は覚えた。知っているものを知らない、知らないものを知っている。カレーパンは奪われたがかつサンドが無事だった。平助が口に放り込めば教室の外で沖田が何かを騒いでいるらしい。土方さぁん、とあの独特の呼び方で土方を茶化しているようだ。
彼らは、夢のなかで共に闘った同士だ。そして奇妙なことに「新選組」の歴史上の人物とほぼ同姓同名である。
「……なんつーか、なんだよなあ」
「何、あいつ。何かあったのか」
「さぁ……朝からあんな感じで」
平助に悟られないように龍之介と千鶴はこそこそと話、彼を伺う。ぼんやりとした平助は考え事をしていたし、風紀委員の二人が検査に来ていたことも勿論気づかずに居た。
「恋煩いってやつじゃないの」
次に平助が気づいたのは、授業の大半が終わり、クラスメイトの沖田が平助の横の机に腰掛けて千鶴と何かを話していた時だ。
机の上には教科書が置かれており、だがこれは昼食後、3時限目に使った数学Bだ。
時間はすでに3時45分を指している。げ、と声を上げると千鶴と沖田、そして井吹龍之介は「あ」と揃った声を上げた。
「やっと気づいた」
「大丈夫?ずっと声かけたんだけど返事なくて」
「あー……おう、大丈夫。考え事してたんだ」
総司は何故ここにいるのか。席違うだろう、という疑問点が湧き上がる。
だが、そんな答えなんて彼を心配する千鶴を通した時点で無意味に決まっている。彼は飄々とした態度で―――相変わらず平助を子供扱いし、にやにやと笑っている。
そういったところは今も昔も何一つとして変わらないのだ。
千鶴も龍之介も学年が下だというのになぜここに、と視線を送れば、龍之介は視線を逸らしながら「雪村がお前のこと心配してたからついてきただけだ」と優しいようなそうでないような発言をする。
千鶴は、まっすぐ帰ろう、と彼を促すが平助は首を横に振る。
帰ってもすることといえばゲームと勉強ぐらいで。勉強は彼の中ではあってないようなものだし、それであれば部活に勤しんだほうがましだ。そして何より彼は部活が好きである。
小手、面、胴。それぞれの切り口で、ぱしん、と綺麗に当たった音や審判のフラッグが全員上がった時は爽快感のようなものもある。同時に――人を斬ることとはまた違う、武道として精神を整えることが出来た。
けれども、その部活も、今の平助の選択肢には該当しない。
彼は通学に使用する鞄を肩に引っ掛け「俺行く所あるから」と言い残すと挨拶も中途半端なまま教室を飛び出した。
取り残された三人は顔を見合わせたが―――総司は矢張り笑顔のままだ。
「そうかもしれないよ?案外」

呼び合うように、呼ばれ合うように、平助は駅の前にある公園に来た。
すぐ隣にある緑色と青と白色の看板が目立つコンビニでアイスソーダを買い、口に放り込んだまま来訪者を待つ。
来ない、という可能性もある。だが彼は「何となしに」そこに居なければならないと誰かが何かを伝えている。
それは夢で出逢った男かもしれなかったし、過去の、なのかもしれなかった。
「…………あ」
アイスの最後の一口を口の中で溶かし、舌で味わっていた時駅の改札から一人の制服姿の女が降りてくる。
参考書を片手にイヤホンをしている姿は見覚えがあり、そして同時に新鮮だ。きっと制服が違うせいだろう。最初に見た時と、あの制服は季節が違うからだ。
彼女は視線に気づいて顔を上げ―――そして、イヤホンを外した。あわせて、平助は手を挙げる。こっち、と手招きをすると女は、ゆったりとした足取りで彼のもとへとやってきた。
「なんでここにいるの?」
「分かんねえ。なんでお前はここに来たんだ?」
「……さあ」
じゃあ答えは一緒だ。そう笑えば、は苦笑を落とした。
彼女は未来人で気づいたらあの世界にいて、そうして自分は過去の人間で気づいたらここにいる。似て非なる。
あの世界では彼女を知る人間などひとりとしていなかったが、こちらの世界では平助は全く違う人生を歩んでいるし、その歩んできた人生を彼は思い出せる。まるで自分以外にもう一人の人格があるかのような、そんな形で。
「私はね、平ちゃんが死ぬのを見送ったらこの世界に来たんだよ」
「……は?」
彼女が言う人生を彼は知らない。
聞けば自分は戊辰戦争のために土方とともに北上したが、羅刹の命があまりもうないことから最後は灰になって跡形もなく消えたのだという。は羅刹の秘密を知った以上あのまま放置するわけにも行かず、戦いに行くこともできないながらに土方と、千鶴とともに動いていたのだとも。
……だが、平助が灰になった途端、彼女はこの世界で目を覚ましたということ。
「……わかんねえなあ、が目を覚ましたのっていつだ?」
「春。少なからず、4ヶ月前だね」
「俺は今朝」
事の端末を話すとはまじめにとり、「鬼」「羅刹」と復唱した。
「その、変な格好した人。その人に連れて来られたってこと?」
「でも俺はこの世界で、千鶴たちと同級生やってるんだ。それも覚えてる」
「……じゃあその、平ちゃんの身体をしている平ちゃんには別の平ちゃんがいるってことでいいのかな」
周りくどい言い方に二人揃って眉間にしわを寄せ、頭を抱える。答えは見えそうにない。
だが、すぐには顔を上げて「まぁさあ」と全く今のシリアスなムードを思い出させようとはしない明るい声で言った。
「何したってさ、あえて良かったよ、会いたかったもん」
「……俺も。俺もあえてよかった」
おかえりなさいといえばいいのか、ただいまといえばいいのか分からない。
問題は山だらけ。だが彼らは、つかの間の再会を素直に喜んだし握手を交わす。その手は暖かく、は泣きそうになりながら笑った。
(そうか、は俺が死んでるの見てるのか)
どんな風に死んだのか、彼には皆目イメージが湧かない。
だが、彼女の前で死ぬのはあまり良いとは思えなかった。
今の自分のこと、過去の自分のこと、そして自分の知らぬ過去と未来の間にいる自分のこと。何を考えていたのかは分からないが―――自分がこの少女、が気がかりであったのは事実だし、彼女を助けたい、守りたい、力になりたい、の源になる淡い感情を抱いていたのも事実だ。そんなこときっとは知らないのだろうけれど。
「つーか受験生って大変なのなぁ、何その分厚い参考書。英語?」
「英語だよ。小論文対策」
うげ、と思わず彼は声を漏らした。
……過去の彼では反応できない単語をはぽんぽんと上げ、そして平助もそれに応える。
元々会話のテンポが良かった二人のやりとりは拍車がかかり、はくつくつと笑った。
「―――もし、過去に戻れるとしたら、戻る?」
だから、彼は彼女の質問に応えることが出来なかった。